モンサンミッシェル その4 教会の中へ
|
西側のテラスから。中少し上のフランス国旗があるところがLa Terrasse de la Mère Poulard(ラ・メール・プラード広場 右の地図のオレンジの⑱) 写真の左奥に南側のテラスがある。南側のテラスはゴルティエの跳躍(La terrasse du Saut Gautier)と言われる。 ここに投獄されていた、フランソワ1世の囚人で彫刻家のゴルティエが、ボルガールのテラスから身投げしたという話から名付けられた。教会内陣の聖職者席と階段の透かし彫りは彼の作とされる。 14:00 |
![]() |
Pont Passerelle(パセレル橋) モンサンミッシェルが浮かぶサン・マロ湾はヨーロッパでも潮の干満の差が最も激しい所として知られる。 満ち引きの差は15メートル以上あり、かつては満ち潮の時には海に浮かび、引き潮の時には自然に現れる陸橋で陸と繋がっていた。最も大きい潮が押し寄せるのは満月と新月の28-36時間後で、沖合い18kmまで引いた潮が、猛烈な速度で押し寄せる。 1877年に対岸との間に道路が作られ潮の干満に関係なく島へと渡れるようになった。しかし、これにより潮流をせき止めることとなり、100年間で2mもの砂が堆積した。急速な陸地化(陸繋島化)が島の周囲で進行し、島の間際まで潮がくることは滅多になくなったため、2009年には地続きの道路が取り壊され、2014年に新たな橋が完成した。 |
|
一連の工事に2億3000万ユーロを要した |
川(クエノン川Couesnon) が真っすぐになったところが大駐車場 |
中下の建物はGendarmerie Nationale(連邦警察) |
|
この日は中潮。満潮8:48と21:12 干潮3:44と16:07 |
|
中右にモンサンミッシェルに向かうバスが見える |
|
上の写真の中ほどのアップ 19世紀に、堤防の建設により海に干拓された土壌は、野菜栽培に適した土地となり、じゃがいも、レタス、紅エシャロットがこの肥沃な土地で栽培されている。 |
2つ上の写真のアップ。橋のように見えるのはバラージュ・デュ・モン・サン=ミシェル(クエノン川河口堰 Barrage du Mont St Michel) |
塔はガブリエルの塔 |
|
西側を防衛し、出し狭間を備えたこの塔は、1524年頃、国王代理官のガブリエル・デュ・ピュイにより建設され、ガブリエルの塔と呼ばれる。1世紀後、風車がこの塔の頂上に建てられ、19 世紀末にクエノン川をいく船の灯台としても利用された。ガブリエルの塔の右側の小さな扉から当時の埠頭に行くことができる。 |
手前の写真のアップ。島の外周を歩く人 |
|
|
1524年にこの塔の完成によりモン・サン=ミシェルの要塞が完成。 |
テラス南下の小屋のような建物 |
テラスの北。奥の建物が教会。右の向いに南側のテラスがある。その間が大階段。 |
![]() 3階 上からChapitre jamais construit(予定のみ) Chartrier(古文書保存室) les 3 arches(3つのアーチ) Cloitre(回廊) Refectoire(食堂) Cuisine(台所) Chemin de ronde(歩道) Transept nord(北翼廊) Eglise(教会) Chour gothic(合唱席) Transept sud(南翼廊) Grand Degue(大階段) 右上から chatelet(城塞) Belle-Chaise(美しい椅子) Tour Perrine(ペリーヌの塔) Logis abbatiaux(修道院の住居) |
|
10世紀ごろ この島はもともとモン・トンブ(墓の山)と呼ばれ先住民のケルト人が信仰する聖地であったとされる。 708年、アヴランシュ司教オベールが夢のなかで大天使ミカエルから「この岩山に聖堂を建てよ」とのお告げを受けたが、悪魔の悪戯だと思い信じなかった。再び同じ夢を見たが、また信じなかった。ついに3度目には大天使はしびれを切らし、今度はオベールの額に指を触れて強く命じたところ、オベールは稲妻が脳天を走る夢を見た。翌朝、オベールは自分の頭に手を置くと脳天に穴が開いていることに気づき愕然とし、ここに至り大天使ミカエルのお告げが本物であると確信しここに礼拝堂を作った。 穴が開いているものの、その周囲がやや盛り上がり、その後も生き続けたのではないかとみられる頭骨が保管され、オベールのものとされている。 |
|
11世紀ごろ 966年にはノルマンディー公リシャール1世がベネディクト会の修道院を島に建て、1023年より建造開始し11~12世紀にはロマネスク様式の身廊(教会堂の入口から祭壇にかけて続くスペース)が建設された。 |
18世紀ごろ 18世紀末のフランス革命時に修道院は廃止され1863年まで国の監獄として使用され荒廃していたが、ヴィクトル・ユゴーの紹介でナポレオン3世が動き1865年に再び修道院として復元され、ミサが行われるようになった。 19世紀には陸との間に堤防を造成し鉄道・道路ができ陸続きになった。 |
現在 |
|
|
|
|
|
真北にあるIslote de Tombelaineトンブレーヌ島 |
|
|
|
教会北西側 |
教会の北に隣接するこの建物はLa Merveille(ラ・メルヴェイユ)といわれる。こちら側(西側)は3階が回廊、2階が騎士の間、1階が地下室になっている。 |
手前の写真のアップ |
|
回廊のアップ。工事中みたい。 |
![]() 2階 左上から Promenoir des moines(修道士の散歩) Galerie Nord-sud(南北ギャラリー) N.D.sous-terre(ND地下) citerne(タンク) Infirmerie de R.de Torigni(デトリニ診療所) Ch.St-Etienne(サンティエンヌ礼拝堂) 中上から Salle des Chevaliers(騎士の間) salle des Hotes(客間) Porche(ポーチ) Ch.Ste-Madeliene(マドリアンヌ城) Ch.des Trente Cierges(30個のキャンドル) Crypte des gros-pillers(太柱の地下礼拝堂) Ch.st-Martin(聖マーチン) Ossuaire(納骨堂) Grand Degue(大階段) Appartements de L'abbe(ロベール・デ・トリニ修道院長の 部屋) Bailliverie(保釈?) Logis abbatiaux(修道院の住居) 右上から chatelet(城塞) Officialite(宗教裁判所) Belle-Chaise(美しい椅子) Tour Perrine(ペリーヌの塔) |
![]() 1階 左上からsalle de l'aquiolon(アクイオンのホール) N.D.sous-terre(ND地下) anc.hotellerie (古い宿泊所) 中上から Cellier(地下室) Aumonerie(救貧、布施分配室) Rocher(岩) 右上からchatelet(城塞) Le Gouffre(深淵) Salle des gardes(警備室) Belle-Chaise(美しい椅子) Tour Perrine(ペリーヌの塔) Grand Degre(大階段) logis abbatiaux(修道院の住居) |
|
|
|
|
|
尖塔の先では高さ4.2メートルの黄金に輝く大天使ミカエルが長剣を振りかざしている。作者はエマニエル・フレミエで、1897年に設置された |
|
西のテラス |
|
テラスの石には石工のサインがあるものがある |
教会内部。交差部の丸い穴の上に鐘がある。その下の床は貫通(ガラスでふさがれている)していて、そこから鐘を鳴らした。 当初((11世紀)、教会全体はロマネスク様式で造られていた。 ロマネスク建築は堅牢さと安全性を指向し、輪郭線と見る者の視線がすべて一点に収斂するように設計されている。15世紀に東の部分(交差部の奥の内陣、その奥の半円の後陣)が重みによって壊れた。 再建された時は、当時流行のゴシック様式で建て直され、奥と手前では建築様式が異なっている。 。 |
|
|
フランスにある他のゴシック建築は、すべて細工のしやすい、柔らかい石灰岩で造られているが、この土地では、花崗岩だけが塩分を含む空気と湾特有の強風に耐えうる材料だったため、敢えて、細工の難しい花崗岩で仕上げられている 奥左にある黒い像は聖ミカエル。その左の側廊の上に十字架のキリスト像がある。少し左手が見える。聖ミカエルは足下に悪の象徴である龍を踏みつけ、手には秤を持っている。これは人の最期に、善行、悪行を秤にかけ、天国か地獄かを決めた言われたことによる。 台座には、"Qvis vt Devs" (神のような人は誰ですか) と記されている。 |
他のカトリック教会は、装飾品や天上にフレスコ画があったり、贅沢な造りになっているが、この教会はその様なものは無い。 フランス革命の時に殆ど大事なものは持ち去られ、その後、牢獄として使用されていた事による。 |
|
|
|
|
|
|
|
奥に向かって右翼部分。この右翼の下にサンマルタン礼拝堂がある。 反対の左翼部分の下には30本キャンドルの礼拝堂がある。 |
両翼(十字型の教会の横棒)にあるレリーフ |
|
|
le christ descendant aux limbres 四肢に降臨するキリスト |
|
|
adam et eve chasses du paradis 楽園から追放されるアダムとイブ bas-relief 浅浮き彫り 14世紀中ごろ provient de L'ancienne cloture de choeur(古い合唱席から移設) pierre de caen(カーンの石) |
|
Retable(祭壇画)15世紀 provient de L'abbaye de la lucerne d'Outremer Albatre アウトレマーのルツェルン修道院のもの Albatre polychrome,dore 多色アラバスター 金メッキ |
|
|
左の彫刻の説明 les quatre evangelistes 4人の伝道者 bas-relief 浅浮き彫り provient de L'ancienne cloture du choeur (古い合唱席から移設 |
天井は木で出来ている |