茶倉ポタ

09
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スタート |
天候 |
区間 |
距離 |
時間 |
時速 |
ケイデンス |
HR | |
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10/24 |
8:30 |
cloudy |
自宅→松阪高町 |
15.70km |
29'18 |
32.1km/h |
82 |
148 |
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松阪高町→小片野 |
23.22km |
1:07'29 |
20.6km/h |
63 |
116 |
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小片野→茶倉 |
7.18km |
23'57 |
18.0km/h |
54 |
104 |
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茶倉→松阪高町 |
35.58km |
1:39'27 |
21.4km/h |
52 |
106 |
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松阪高町→自宅 |
16.64km |
33'11 |
30.0km/h |
78 |
150 |
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total |
98.35km |
4:13'25 |
23.2km/h |
62 |
118 |
今回は茶倉へ。曇り空のもと地図を時計と反対周りに。櫛田川沿いの県道を走る、小片野の直前の登りもちゃんと
ついてこれるようになった。小片野のスーパーで休憩、かなり寒く缶コーヒーで体を暖める。

道の駅の茶倉で 展望台から
茶倉についた途端、雨があたってきたので早々に出発。

展望台から烏岳 左下の建物がリバーサイド茶倉
帰りは川に沿って下る。途中で丹生大師に立ち寄る。
丹生大師の山門

丹生神社 階段の上が丹生大師
【丹生大師と丹生の町】
真言宗山階派の1等格寺院で、寺名は「神宮寺成就院」。774年(宝亀5)光仁天皇の勅願により、空海(弘法大師)の
師である勤操大徳によって開創。
ここ丹生は、奈良時代の和銅年間(708〜714年間)に水銀が発見されより、次第に繁栄し賑やかになった。
光仁年中(810〜824)、唐から帰国した空海は、諸国を巡拝し当山にも立ち寄ることとなった。その際、本堂(観音堂)
の梁に勤操大徳創立とあるのを見て不思議な縁と感激し「すでに高野山に伽藍建立を考えているが、まずこの地に
仏閣を建立し衆生をすくわん」と発願し、弘仁6年(815)に七堂伽藍を完成したと伝えられている。
丹生水銀と伽藍建立によって、当地は大いに隆盛を極め、のちに大師の像は、再度の兵火にも無事免れ、今日なお
霊験あらたかに鎮座している。
なお、大師堂の本尊である弘法大師像は、大師42歳の自画像で、衆生の厄除と未来結縁のために、自ら刻んで安置
されたと伝えられている。
丹生は古代、水銀の産地として知られていた。その頃日本で使われていた水銀のほとんどが、丹生で採掘されたもの
と考えられ、有名な奈良東大寺の大仏にも、丹生水銀が使われていた。また、中世には全国唯一の水銀座(今でいう
ところの同業者組合)が存在し、全国から商人や鉱夫が集まり、「丹生千軒」と呼ばれるほどの繁栄をみせたと伝えら
れている。
水銀は、仏像や調度品の金具などのメッキ、白粉に代表される顔料の材料としてたいへん重宝されたが、中世以降は
次第に産出量も減り、衰退していった。
行きから目をつけていた相可の白子屋でお約束のみたらしを

弟子は初めての60kmを比較的楽にクリアできたと言っていたが、プラス38kmの先生は久々の100km走でかなりへとへと。
Over HR170 19'17、Max speed 57.1km/h、Total cal 1769kcal、Peak HR 163