スリ・マリアンマン・テンプル(Sri Mariamman Temple)

 

 シンガポールの数あるヒンズー寺院の中でも、最も歴史が古く、最も重要なヒンズー寺院。

 この寺院の最初の建物は、ナラヤナ・ピライというインド人によって1827年に建てられた。

  ピライは、シンガポールの開港の父、スタンフォード・ラッフルズの2度目のシンガポール訪

  問に同行し、1819年にシンガポールに来た。

 ビライはシンガポールのインド系社会の初期の指導者として知られ、元々ペナンのイギリス

 植民地政府の職員であったのですが、一方で、綿の取引も行う商売人で、1822年にクロス

 ストリートで綿のお店を開いて、商売をはじめます。すぐに火災ですべてを失ってしまうなどの

 ハプニングもあったものの、ラッフルズの信頼厚かったピライは、ラッフルズの支援を受けて、

 再び事業を再開し、同時にインド人のリーダーに指名され、タミール人の争議を仲裁する権

 限を与えられます。

 そして、ピライは、インド人コミュニティの中心となるべき寺院の建設に着手します。これが、

 このスリ・マリアンマン・テンプル。

 

 ラッフルズの東インド会社は、最初、寺院の建設場所として、テロック・アヤ・ストリートを割り

 当てるのですが、ヒンズー教の儀式に必要な新鮮な水の確保が出来ないという理由から、ボ

 ツになる。次に、現在のラッフルズ・シティ周辺が次の候補地となったものの、今度はイギリ

 ス人居住区であったことから、これもボツ。そして、最終的に落ち着いた場所が、現在の場所

 で、土地は東インド会社から与えられたものだった。

 

  ヒンズー教寺院は12年ごとに改修をする伝統があるようで、この建物も最初の建設以来、

 数々の改修を経て今に至っている。

 

  この寺院は、シンガポールのヒンズー社会の中でも昔から重要な位置を占めてきた。植民

 地時代は、インドからやってくる人々が働く場所を見つけるまでの仮の宿として使われたほか、

 争議の仲裁や、ヒンズー教徒の結婚登録所としての役割を果たすなど、まさにヒンズー社会

 の中心であった。現在は、ヒンズー教の大きなお祭りの一つで、10月から11月頃に行われ

 る素足の火渡り儀式ティミティーの会場として知られている。

 

  この寺院の中心にいる神様は主神スリ・マリアンマン。この神様はヒンズー教の主要神の一

 人であるシバ神の奥さんパルディーカの化身。伝染病や流行の病気をしずめ、直す神様とし

 て知られている。ヒンズー教は地方の小さな神様と化身だといって宣言しては、吸収してきた

 歴史があり、スリ・マリアンマンももともとはインドの一地方の小さな神様だったのかもしれない。

 

  昼頃と夕方には、定例のお祭りがあって、ラッパを鳴らし、太鼓を叩いて、派手に儀式をやっ

 ている様子が見られるが、案内したHISのガイドは「みなさん、今日は結婚式があり特別な儀

 式があります。」とのたまってました。