チャイナタウンコンプレックス(牛車水大厦 Chinatown Complex)

 

  仮店舗だが正月料理の材料の買出しで賑わっていた。

 

  旧店舗は地下1階がマーケット、1階が小さなお店屋さん、2階がホーカーセンターで

 1980年代はじめのチャイナタウン再開発の手始めに、その付近にあったショップハ

 ウスを取り壊し、さらに路上にあった屋台も路上営業を禁止して、それらを集めた建物。

 HDBの住宅を併設していた。

 

 地下1階はウエットマーケット。床が濡れているのでウエットマーケット。こうしたマーケット

 自体はシンガポールのHDBには必ず併設されているものであるものの、ここのマーケッ

 トは、その規模と扱うもののエキセントリックさで他を圧倒。

 

 1階は小さなお店の集まりです。200以上のお店があり、カバン、靴、洋服から雑貨、CD

 布地までいろいろなものを売っている。

 

 2階は巨大なホーカーセンター。

 

 この仮店舗は旧店舗の3階分がワンフロアになっており猥雑さは一層。

  駐車場は狭く行列。

   

 ツアーで行ったホーカーより数倍おいしそう。

   

  

 おやじさん上半身裸で頑張ってます。            カエル。カメとも買っている人は見なかった  

  

 ミドリガメ                            黒いのは烏骨鶏

 正月飾り。他にはガラクタとしか思えない時計屋。

 

 仮店舗を芝生広場の上から見る。

 ここは昔シンガポールでも有名な「死の街」だったところ。昼も夜も活気のあったチャイナタウンの中で、ここだけ

 は喧噪とは無縁だったという。「死の街」というのは、ここに「福寿所」とか「大難館」と呼ばれる葬儀屋兼ホスピス

 があり、そのほか風水占い師、僧侶、導師、泣き女、葬式用のブラスバンドなどの葬儀産業の集積地だった。

 ここの葬式屋は、瀕死の重病人や老人を預かり、死までの短い最後の人生を家族から離れてここで送っていた

 そうだ。昔、クレタ・アヤに多く住んでいた広東の人々は、死を甚だしく忌み嫌う習慣があり、死人風にふれると死

 者のあらゆる不幸が降りかかると信じており、死を家から切り離そうとした。暗い汚い建物の中で、多くの人が咳

 き込みながら死を待っていたそうだ。

 さすがに幽霊話も多く、恐怖のエリアともなっていたが、1961年に政府によって、こうしたホスピスの設置が禁止

 され、葬儀関係のお店はすべて移転させられ、きれいさっぱりつぶされてしまった。

  ただオーチャードの高島屋が墓場の跡地に建っているように、何年かすればにぎやかなショッピングセンターに

 変わっていることだろう。