城隍廟(city god temple)

 朱家角鎮の中心に位置し、清の乾隆二十八年(1763)に建てられた青浦城隍の行宮。

 朱家角鎮の道教徒が宗教活動を行う場所。道教は、東周時代の老子の教えに従い、 4つの教派が

 あったが、朱家角鎮は「正一道」の信者が多いという。

 かつては「城隍十二景」といわれた亭、閣、楼、池などがあったが、今では、太子殿と観音殿の建物を

 残して、ほとんどその面影がない。

  

 ここの廟の門について「江南名鎮朱家角」(復旦大学出版社)によると中国の廟は通常、 南に門があ

 り北に本殿を置く、ということだが、朱家角城隍廟だけは、西に本殿があり、 門が東に開いている。

  なぜそうなのか伝説があるという。

    昔この廟は雪葭浜にあった。焼香の信者は多く、門前市をなしていた。清の雍正年間(1723〜1735)

  に村に住む、王昶(後に清の高官・学者となる郷土の偉人、記念館あり)は幼いときから大変賢く、

 学問を好んだ。8歳になると、毎日私塾に通いだした。

 私塾の往復には、母が紡いだ布を背中にかついで、売って歩いたが、必ず廟の前を通った。売り尽く

 すまでは、一日に5、6度も廟の前を通った。

   お詣り客の多い、ある日のこと、参拝者から祈りを捧げられていた城隍爺さんは、突然立ち上がり、

 笑いながら進み出て、頭をペコペコ下げてお辞儀をした。度々焼香客はそんな場面に出くわし、不思議

 に思っていた。それはいつも、王昶が廟の前を通る時なのだ。お客達はその謎がやっと解けた。それは

 城隍爺さんが、王昶は出世して官を登りつめる星の元に生まれており、将来必ず小官の城隍爺さんより

 も、ずっとずっと高官に出世すると分かっていて、進み出てはペコペコ頭を下げているのだということを。

  しかし城隍爺さんは、日に何度も立ち上がり、ペコペコするのは面倒だし、参拝客に笑われるのは嫌な

 ことだと、ずーと思っておった。ある日、城隍爺さんは信者達がかつぐかごに乗って、遊びに出かけた。運

 河を通りかかった時に大雨が降り出した。ちょうど前に、壊れかけた建物があったので、信者達はかごを

 そこにかつぎこんで、城隍爺さんに雨宿りをさせた。かごをかついでいた信者達は、雨が止んだので、城

 隍爺さんの乗るかごをかついで、外に出ようとしたが、いくらがんばっても、かごはびくとも動かない。

  実は、城隍爺さんは、廟のある雪葭浜には帰るのがいやだたのだ。毎日何度も立ち上がっては、ペコ

  ペコ頭を下げなくてはならないからだ。そこでやむなく信者達は、その場所に廟を建てることに決めて、

 風水を占う先生に伺いを立てた。すると、北に本殿を置いて、南に門を作ってはいけない、ちょうど南の方

 角、1里先に王朴の家があるから、せっかくここに廟を建てても面倒なことになる。東西方向に向けて建て

 よ、といったので信者達は、いわれた通りに廟建てた。 その後王昶は、出世して刑部右侍郎の高官にの

 ぼりつめ、郷土の偉人となった。

 というわけで朱家角城隍廟だけは、西に城隍が座して東を向き、東に廟の門がある配置となった。

   

 

   

  

 本殿の軒下には巨大な、算盤が掛けてある。現在の算盤玉は

 666 123456789 888を指している。これは城隍爺さんが

 農民の、日々の生活の安泰と、天候が順調であることを願って、

 細かく算盤をはじいているということらしい。

  本堂前の4本の柱に、人々が善行を積んで、福が来るように

 という意味の、2組の聯が掛けてある。堂内には城隍と、その婦

 人が立っている。このように、城隍夫婦が祭られているのは、江

 南一帯では比較的珍しいことらしい。

   

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