竹富島 その2

 

島の中心の集落の西の端にある やど屋 竹の子

その隣のそば処 竹の子

これがスンマシャー

集落の西北にある水牛車の新田観光

休憩中の竹富牛1号

昼寝中の竹富牛2号

カフェてぇどぅん(竹富島の意)しだめー(かたつむりの意)館。居酒屋。

屋根が新しい民家

なごみの塔。2016年9月20日から登頂禁止になった

なごみの塔から集落の東を望む

南東を望む

南を望む。真ん中右がしだめー館

南西を望む

西を望む。右の建物の2階が「あかやま展望台」となったらしい

北西を望む

北を望む

村御嶽(ムラオン:竹富島の祭事の中心となる4か所の御嶽)の1つ清明御嶽(フィナーオン)

町の掲示板

6月1日だけど先月の予定

昭和51年(1976年)に石垣島からの上水道送水設備を完備したのを記念して造られた石碑。

一般の民家の壁画

木の電信柱

竹富民芸館17時でお終い

中を覗くとこんな感じ

民芸館から北へ歩く。奥にクースクムイが見える

左はクースクムイ(小城盛)。17世紀半ば、江戸幕府の命によって八重山の島々全域にわたり作られた。目的は外国船や琉球から中国への進貢船、大和の船の通行を監視し、のろしにより、その通行を石垣島にある蔵元(八重山をとりまとめる役所)に通報することにあった。その際、島によっては直接石垣島まで見渡す=のろしをかざすことができないため、島伝いののろしリレーによって通報が行われた。難破船の救護にも利用された。 

クースクムイの上

クースクムイの上からは石垣島が見える

ユームチ(世持)御嶽の鳥居

この御嶽は村番所・村役場跡地に火の神と農耕の神を祀った。五穀豊穣と島民の健康繁栄を祈る島最大の祭「種子取祭」(タナドゥイ)が行われる。1914年から38年の間、この場所に竹富村の村役場があった。

弥勒奉安殿

中にはミルク様(弥勒様)のお面がある。

左は御嶽内にある慰霊の塔。1966年に完成、1郡内にある慰霊の塔の中では最も古い。建立から49年目と老朽化が激しく、2015年に620万円で改築された。341人が祀られている。