葵祭2016

沿革

賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社の例祭で5月15日に行われる。古くは賀茂祭、または北の祭りとも称し、平安中期の貴族の間

では、単に「祭り」と言えば葵祭のことをさすほど有名であった。

平安時代以来、国家的な行事として行われてきたので、わが国の祭のなかでも、数少ない王朝風俗の伝統が残されている。 

賀茂祭が葵祭と呼ばれるようになったのは、江戸時代の1694年(元禄7)に祭が再興されてのち、当日の内裏宸殿の御簾をはじめ、牛車

(御所車)、勅使、供奉者の衣冠、牛馬にいたるまで、すべて葵の葉で飾るようになって、この名があるとされる。

今から約1400年前の欽明天皇の567年、国内は風雨がはげしく、五穀が実らなかったので、当時賀茂の大神の崇敬者であった伊吉の若

日子に占わせたところ、賀茂の神々の祟りであるというので、若日子は勅命をおおせつかって、4月の吉日に祭礼を行い、馬には鈴を

かけ、人は猪頭(ししがしら)をかぶって駆競(かけくらべ)をしたところ、風雨はおさまり、五穀は豊かに実って国民も安泰になった。

また、819年(弘仁10)には朝廷の律令制度として、最も重要な恒例祭祀(中紀)に準じて行うという、国家的行事になった。なお応仁の

乱(1467-77)ののち、1693年(元禄6)まで約200年の間、1871年(明治4)から1883年(明治16)まで、1943年(昭和18)から1952年(昭和27)

まで中断や行列の中止があった。しかし王朝の伝統は忠実に守られてきた。

葵祭は御所内で行われる「宮中の儀」、御所から上賀茂神社までの「路頭の儀」、上賀茂神社での「社頭の儀」で構成されるが、現在は「宮中

の儀」は行われていない。

堺町御門内側

奥は建礼門からの通り

 

奥に建礼門が見える。右のトラックの左に陣取り

建礼門が正面になるところはNHKや報道関係が陣取る

白い布の席は有料席。

有料席は番号がついている

京都府警の警察官

 

 乗尻(のりじり)

 行列を先導する騎馬隊で、左右

  各3騎。上賀茂の競べ馬の騎手

  である。古くは六衛府の衛士

  (えじ)がこれに当たった。

 上賀茂神社では彼らによる走馬

 の儀が祭のフィナーレを飾る

 

 

6人目を走った。動画はこちら

トリを務めた。その走りはこちら

 

ここから警衛の列

検非違使志(けびいしのさかん)



検非違使庁の役人で警察司法の

担当者。六位の武官。

薄い藍色の装束で舎人(とねり)

の引くに騎乗、看督長(かどの

おさ)、長(かちょう)、白丁(は

くちょう)、如木(にょぼく)など

下役を率いて行列の警備にあ

る。

 

右前が素襖(すおう)で江戸幕府か

ら派遣され行列の警備にあたる(

紺色の装束)。左前は看督長

後のあせた紅色の装束は看督長で

現在の警察官にあたる。

騎乗の検非違使志、弓矢を持っているはずが持っていない

調度掛(ちょうどがけ)に弓矢を持たせ、

鉾持(ほこもち)に鉾を持たせて武装しています。

 

 

左は鉾持(ほこもち)検非違使の

役人で逮捕糾問など行った

右は侍童(さぶらいわらわ)、検非

違使志の扇を代わりに持って

いる。

わら草履でなくわら靴を履いて

いる。

 

検非違使尉(けびいしのじょう)

やってきた。真ん中が如木、他は白

丁。



 

 

検非違使尉は5位の判官。志

の上役で行列の警備の最高責

任者。舎人の引く馬に乗る。


 

検非違使尉の鉾持は独特のデザイン。侍童は検非違使尉の杓を持つ

 

鉾持の右は調度掛(ちょうど

かけ)で検非違使の弓矢を持