桂離宮 その7 

 

古書院の御輿寄から中門をくぐる

古書院を振り返る

月波楼を振り返る
右の垣はくろもじ(黒文字)垣と言われる
左の写真の古書院の御輿寄からの道(東)を出ると参観の入口から来た道(南)、御幸門への道(西)、下の写真の住吉の松への道(北)の十字路になる
住吉の松は以前はもっと大きな松だった。左は松琴亭

黒文字はクスノキ科の落葉低木。その枝は高級妻楊枝の材料としてよく知られる。黒文字垣は、竹枝に変わる高級の材料として使われる。
黒文字の枝を一本一本はさみで切り、まがった枝を火であぶりながら矯正し、真っ直ぐにしてから垣にする。

全体図でおさらい。図の真ん中下の小さな建物が月波楼でその南を西に進んで出口に出た
「宮」のマンホール
再び待合室の展示を見る。これは古書院でつかわれた茶道具。いずれも明時代後期から末期のもの。中国製で一般的に珍重されるのは南宋から元時代に作製され室町時代に伝わったもの。
<続き>しかしながら類似品の無い珍しいもので八条宮家の美意識の高さが伺われる


日本三名棚(醍醐寺三宝院宸殿の醍醐棚。修学院離宮中離宮客殿の霞棚)の1つの新御殿の桂棚。武家住宅では上座の背後に床や棚を設けるが宮中では御座の片脇に配する。船載(舶来つまり外国から)の銘木が使われている。それまでは調度や文房具にしか使われず、建物に使われたのはこれが初めて。
大正7年に苑石700点を調査した「桂離宮庭池辺装石図」
石の形が詳細に記され、ナンバリングされている。大正6年10月で桂川が決壊しており、水害後の復旧を考えて作製された
離宮から出て北から時計回りに外周を歩く。離宮の南西にある田
写真の真ん中あたりに笑意軒がある。
笑意軒の屋根が見える
笑意軒の南の田は入れない
笑意軒の障子が見える
田の東にある春日神社


明治16年創業の中村軒。改装中で店の裏の仮店舗
麦代餅(むぎてもち)。田植えどきの間食としてこの餅二個を食した。農繁期が終わった半夏生の頃に代金として農家にこの餅二個につき約五合受け取った。
 
桂川沿いに歩く。左は生えている笹をそのまま曲げて垣にした桂垣
←歩いたコース。右下の緑の旗が中村軒