横浜 みなとみらい 中華街

 宿泊はランドマークタワー。「いざ神奈川」割が使えた。夕食は中華街で。

中華街


ランドマークタワー61階から

横浜高速鉄道みなとみらい線(横浜-中華街) みなとみらい駅。横浜地下鉄とは別で全線、地下を走るが地下鉄ではない。2004年2月1日に開業。通過する地域は地盤が非常に軟弱な埋立地で各駅とも地下4 - 5階と深いところを走行。2013年3月に乗り入れ先である東急東横線が東京メトロ副都心線との相互直通運転を開始し、本路線も東横線を経由して副都心線と相互直通運転を実施。副都心線は2008年6月の開業時から東武東上線、西武有楽町線・西武池袋線・西武狭山線と相互直通運転を行っており、2017年3月25日からは西武秩父線との直通運転も開始。


朝暘門

右は華正樓の売店。

右端の丸い棟の白い建物のホリデイ・イン横浜はローズホテルになっていた(2003年-)

香港路にある海員閣を予約。なぜか電気が消えている。

香港路。正面の安記はお粥が有名

ここのシューマイは武骨

玉子入りフカヒレスープ。器が伊賀焼に似ているので聞いたところ。そこらへんに売ってるやつです。予約制にしてから揃えました。とのこと

鳥の巻き揚げ。網目の部位を鶏肉に巻き付けて揚げたもの。皮の部分が香ばしい。

大海老の殻煮。国産の車海老を使っていたが入手し難くなり車海老以外も使っている。料理名も干煎車蝦から干煎大蝦に変えた。私には車海老と他の海老の区別がつきません。これも皮がパリッとして美味しい。(皮を食べる客とそうでない客がいて、お好みで店主は食べないとのこと)


豚バラの煮込み。やわらかく、ソースもまるやか

鮑のうま煮

酢豚。きゅうりが入っているのが特徴。ちょっと前まで中国では衛生上、生できゅうりを食べず熱を加えており、それと取り入れたとのこと。

杏仁豆腐。あんずの実の種の殻をとった中のもの(杏仁霜)にアーモンドパウダーやエッセンスを入れるがここのは杏仁霜だけで作っている。

奥さんの誕生日祝いにもツバメの巣をトッピングにいただいた。これで中国三大珍味(他はアワビとフカヒレ)を全て味わうことが出来た。

ホテルニューグランド

横浜市は関東大震災で壊滅的な打撃を受け、復興にあたり当時の横浜市長有吉忠一の提案により、横浜市在住の有力者を集めた「横浜市復興会」を結成。そこで決議された「外人ホテル建設の件」が、ホテルニューグランド建設の端緒となった。名称は公募によって集められたが、関東大震災で倒壊し廃業した外国ホテル「グランドホテル」の後継として訪日客に謳う狙いで選ばれたとも、公募の中に適当な名称がなかったため横浜市復興会計画部長の井坂孝が命名したという説もある。  官民一体となって建設が進められ、当初は第三セクターとして発足。現在の本館は、1927年創業時に渡辺仁の設計で建築され、クラシックホテルの代表例として名高い。1930年代は、ルーフガーデンで大桟橋など横浜港を見ながら食事ができた。ロビーの大階段の先には川島織物製のタペストリーがかかり、高さ6メートルのマホガニーの柱は現在も残る。洋風の豪華な造りである一方で和風の意匠も取り入れられ、メインダイニングでは御簾の奥で雅楽が奏された

ニューグランドの厨房からはドリア、ナポリタン、プリンアラモードなど後に広く知られる料理が生まれた。また、ホテルオークラ初代総料理長となる小野正吉など数々の名店の料理長を輩出。   開業当時から、皇族、イギリス王族などの賓客や、喜劇王チャーリー・チャップリン、米国の野球選手ベーブ・ルースなど著名人も多数来訪し、ダグラス・マッカーサーは1937年に新婚旅行の帰路と1945年にSCAPとして来日直後に滞在。


入口

1階玄関

大階段。ホテルニューグランド本館の中心的存在。手すりは一枚一枚、色合いの違うイタリア製の釉薬タイルでおおわれ、階段には色鮮やかな「ニューグランド・ブルー」の絨毯が敷かれている。 階段の上には、時計上部にある天女が楽器を奏でながら舞う姿を描いた「天女奏楽之図」。これは西陣織を独自の技法で仕上げた二代目川島甚兵衛が制作した綴織(つづれおり)。 時計の周りには鳳凰をモチーフにした飾りが多く使われ、他にも鳳凰はホテル内の至るところに見られ、関東大震災から復興する横浜を象徴している。


パティオの電飾

バー・シーガーディアンⅡ.奥がカウンター。ちなみにシーガーディアンⅠは無く、シーガーディアンがホテルが開業した1927年から新館が出来た1991年まで、港に面した場所で営業していた。サザンオールスターズのLOVE AFFAIR~秘密の…の歌詞にでてくるのはシーガーディアン。

左はYOKOHAMA
サボイのカクテルブックにも紹介されている世界的なカクテル。港の美しい夕焼けのイメージなのか、横浜へ来た記念に、と当バーで「本場のヨコハマカクテルを」とする人が多い。
右はBAMBOO
グランドホテル(1873~1923)の支配人ルイス・エッピンガー氏によって発案された。「竹」という名のカクテル。外国人にとっての日本のイメージ。

食べるものもいろいろあった。

山下公園から

ホテルの北側から

パティオを見る

SOGOショップのウインドウ。ホテルオリジナルのピーターラビットの紅茶

、デンマークの妖精ニッセをモチーフにした木製人形ブランド
正面はイヤーズノルディカ。サンタの持つベルに年号が描かれている

ピーターラビットの絵本出版120年を記念した部屋やアフタヌーンティーセットがある

横浜店で開催の英国テディベアフェアの商品がこちらにもあった。 
たぶんメリーソートのもの。

これは記念のケーキ
氷川丸。日本郵船が1930 年にシアトル航路用に建造した貨客船。戦争中は海軍特設病院船となり、終戦までに3回も触雷しましたが沈没を免れ、1953年にシアトル航路に復帰。第一線を退くまで、太平洋横断254回、船客数は2万5千余名を記録。 1960年に引退、1961年より山下公園前に係留保存され、2008年に「日本郵船氷川丸」としてリニューアルオープンした。戦前のわが国で建造され現存する唯一の貨客船で、2016年に重要文化財に指定された。
左が中央噴水で姉妹都市のサンディエゴから送られた水の守護神像。他に山下公園には歌碑「かもめの水兵さん」 、「赤い靴はいてた女の子」像、インド水塔(水飲み場)、日米ガールスカウト友好の像、リカルテ将軍(1866年フィリピン生まれ。1896年祖国独立のため挙兵、フィリピン革命を成功させるも米国に裏切られ、1915年「平和の鐘の鳴るまで祖国の土をふまず」と日本に亡命し横浜の山下町に居住)。


華僑基督教会。横浜天主堂跡の交差点から。横浜天主堂は1857年(安政4年)にパリ外国宣教会から日本管区長代理で指名された通訳としてジラール神父が1860年(万延元年)に聖堂建設所有地の借地権を取得。当時の横浜はまだ禁教であったが、外国人居留地内では教会建設は許されていた。1862年(文久2年)1月12日に横浜開港後の日本で初めてキリスト教会が建設された。その後1906年(明治39年)に山手へ場所を移す。

山下公園。昭和5年3月に開園、関東大震災の復興事業として市内の瓦礫などを大正14年から4年がかりで埋立て、公園の基本的な形を作った。現在の沈床花壇の部分が船溜まりになっており、現在も氷川丸の横にある小さな橋がそのなごりをとどめている。開園5年後の昭和10年3月には復興博覧会が行われ、その船溜まりでは鯨が泳ぎ、パビリオンが建ち並び、たいへんな賑わいを見せた。戦後は米軍に接収されましたが、昭和29年から段階的に解除され、昭和36年には再整備が完了し、ほぼ現在の姿となっている。

みなとみらい


写真中がみなとみらい駅

ステーションコア。クイーンズタワーの地下5階のみなとみらい駅に続く大アトリウムで、2004年の駅開業時に整備された。壁面にはジョセフ・コスースにより、22×14mの黒御影石に白色ネオン管で、フリードリヒ・フォン・シラー「デンマーク王子アウグステンブルク公にあてた美学的なことに関する書簡27号」の一部の引用が刻まれている。

かなり黒いスヌーピー。樹木は成育することのない無数の芽を生み、根をはり、枝や葉を拡げて個体と種の保存にはありあまるほどの養分を吸収する。樹木は、この溢れんばかりの過剰を使うことも、享受することもなく自然に還すが、動物はこの溢れる養分を、自由で嬉々とした自らの運動に使用する。このように自然は、その初源から生命の無限の展開にむけての序曲を奏でている。物質としての束縛を少しずつ断ちきりやがて自らの姿を自由に変えていくのである。

クイーンズタワーC北の植栽

魔法界の人気スポーツ「クィディッチ」をテーマにしたクリスマスツリー“「ハリー・ポッター」クィディッチの樹

“MINATOMIRAI CHRISTMAS 2022「ハリー・ポッター」魔法ワールドと出会う旅”

【「ハリー・ポッター」ホグワーツ 魔法の樹(クリスマスツリー)】


三菱地所グループが展開するホテルチェーン「ロイヤルパークホテルズ」に属する。「横浜ランドマークタワー」の上層階部に、横浜ロイヤルパークホテルニッコーとして1993年9月15日に開業。当初はJALホテルズ(現・オークラ ニッコー ホテルマネジメント)と提携しており、2001年に提携解消後、現在の名称に変更。日本で最も高所に位置するホテルである[1]。   客室は地上210m以上の52階 - 67階に位置し、全603室