修学院離宮 中御茶屋 その2
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客殿
楽只軒の南東に接して建つ。東福門院の女院御所の対面所を移築したもの。楽只軒より客殿の方が若干高い地盤上に建っており、楽只軒南東の板縁と客殿入側の間は矩折に位置する2つの階段で結ばれている。階段は楽只軒側が4段、客殿側が3段で、段差が一定の高さでない特異な階段。建物は入母屋造、杮葺、南面と西面に1間幅の入側(畳縁)があり、その周囲に板縁をめぐらす。写真は一の間
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一の間の北には仏間(御内仏の間)がある。一の間は12畳で、北側西寄りに床(とこ)、その東に幅1間半の棚を設ける。棚は5枚の欅板を高さを違えて設置し、霞のたなびく様に似ることから「霞棚」と称され、桂離宮の桂棚、醍醐寺三宝院の醍醐棚とともに天下三名棚の一とされる。地袋小襖の三角棚の床壁の腰貼りは群青と金箔の菱形を交互に並べた幾何学文で、襖の腰貼りも同様である。床、棚、襖を通して金泥で雲を描き、その上に和歌・漢詩と水墨画の色紙を貼り交ぜている。和歌は親王公家、漢詩は五山僧の筆になるものである。
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棚の下方の地袋には友禅染の張り場の風景を描く。引手は羽子板形、 |
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地袋の上には細長い三角棚がある 小襖の引手はぶりぶり(玩具の一種)形である。 |
南側の畳縁の杉戸には一の間側に鯉と鮒、二の間側に大鯉を描く。これらの魚の絵には画面全体を覆うように漁網の網目が描き込まれ、伝承では、この魚たちが夜な夜な絵から抜け出して庭の池で泳ぐため、漁網を描き加えたという。
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網目がところどころほつれている様子も描写されている |
西面入側の北端、楽只軒に通じる階段との境の杉戸には祇園祭放下鉾と岩戸山を描き、これらの裏面には2枚続きで祇園祭の船鉾を描く。 |
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二の間。10畳で、狩野永敬の四季絵がある。襖の引手は尾長鳥丸紋のデザインとし、長押には七宝の竹葉形釘隠8個がある。 |
二の間側の大鯉 |
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裏から見た一の間 |
突き出しているのは6畳の「仏間」で女院御所を当地へ移築した後に付け加えたもの。写真には見えないが仏壇上方の欄間は波の文様を下向きに表したもので、「逆波の欄間」という。
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板縁の手摺の意匠は斜めの直線数本を組み合わせた独特のもので、「網干の手摺」と称される。 |
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楽只軒(らくしけん)。瓦葺、杮庇の建物で軒名は『詩経』の「楽只君子万寿無期」によるもので後水尾院の命名。ほぼ正方形平面で、南面と東面に板縁を設ける。手前が一の間、奥が二の間
。一の間の左は3畳の入側。入側とは書院造りで、濡れ縁と座敷の間にある1間(けん)幅の通路。畳敷きとした場合は縁(えん)座敷ともいう |
一の間・二の間境の長押上の「楽只軒」の額は後水尾院の筆になる |
一の間。6畳で北側に床(とこ)を設け、床壁貼付と、その西の壁貼付の絵は狩野探信の「吉野山桜図」 |
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天井は杉板 |
二の間は8畳で、この西面南寄りの壁貼付絵は作者未詳の「竜田川紅葉図」 |
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蔵の横を通って中離宮の入口に戻る |
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