サンパウ病院

20世紀初頭まで、バルセロナの最も広い病院は、サンタ・クレウ病院で、旧市街にあった。しかし、19世紀中ごろからバルセロナの人口がどんどん増え、この病院では、対応できなくなった。

 パウ・ジル ( Pau Gil / 1816-1896) という銀行家は、亡くなる前に当時の郊外に新しい病院を建てるようにと、バルセロナ市に対し高額の寄付をした。条件が一つあり、それは、彼の名前(パウ)を新しい病院につけることだった。

 によって、1902年に新しい病院の建設工事が始まりました。建築家のドメネク・イ・ムンタネーは、ヨーロッパの有名な病院を訪れ、見学し、使いやすい病院を建設しようとし、1902年に建設工事を開始。

ドメネクは印刷業を営む裕福な家庭に育ち、25歳でバルセロナ建築学校教授になりモデルニスモ建築を牽引。やがてた2歳下のガウディと教授と生徒の関係で運命的な出会いをする。

 48棟の予定が資金不足で18棟になった。

 サン・パウ病院 の正門前の教会のような建物は、1905年から1910年までに建てられた病院の事務所。石の彫刻、鉄の飾り(街灯など)、タイルなどで造られており、モデルニスモ建築(アール・ヌーヴォー)。

2009年まで多くの市民がサンパウ病院に入院していたが、2014年から観光スポットとして再オープン。

サクラダファミリアの次の駅
国内でイプサムの後継車として2009-2018までヨーロッパ、南アフリカ、中国で販売されていた。製造はトルコ。2014年からBMWのディーゼルエンジンを積んだモデルも登場。
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右のレンガ造りの建物は病院内の教会
正面の建物は事務棟
外の壁にある大きなモザイクは、旧病院の物語を描いたもの。
事務棟

奥が病棟で右が男性、左が女性。その間にある建物は手術室
右が⑯聖母メルセ分館でこの方向からの写真が8つ下のもの
真ん中が手術棟
全てのパビリョン(棟)は、地下の通路で繋がっています。寒くなっても、患者さんがパビリョンから手術室などへ簡単に行けるようになっていました。


地下道を通って図の⑤の前(南)の中庭に出て事務棟を振り返る
分館は左下から時計周りに、21聖母アポローニャ ⑲聖母プリッシマ ⑰聖母カルメ ⑯聖母メルセ ⑭聖母モンラット ⑮聖マヌエル ③聖ラファエル ⑱聖レオポルド ⑦聖サルバドール 22聖サン・ジョルディ  


⑰聖母カルメ(カルメル、カルメン)分館。カルメル山は、イスラエル北部の地中海沿岸を南東に走る、長さ24km、最高峰524mの丘陵。その美しさは聖書の中でしばしば語られ、神の祝福の象徴として用いられるようになった。
左の写真のアップ
⑰聖母カルメ分館、北東から
⑰の病棟、北からその1。煙突のように並んでいるのは換気塔。この病院が作られた19、20世紀初頭の問題は「衛生と伝染病」で、各部屋に新鮮な空気が入り易いようにした
⑰の病棟、北からその2

⑰聖母カルメ分館の向かい(北)の⑯聖母メルセ分館
⑯聖母メルセ分館入口のスロープ。なだらかにするためカーブになっている

⑯聖母メルセ分館の奥(西側)

ガルゴーラ(ガーゴイル[仏]、樋嘴[ひはし] 猿は珍しい
⑯聖母メルセの西側。現在8つ上の写真の模型の実物がこれ
 
左の写真の下の窓枠
分館の西は病院内だが柵で入れないようになっている。柵の向こうを歩くバルセロナ猫1号
⑰聖母カルメ分館の屋根
⑰聖母カルメ分館の背面のファサード

⑯聖母メルセ分館、こんどは反対側の南東から 左の塔の左上の珍しいカエルの親子のガルゴーラ

⑰聖母カルメ分館(左)の⑯聖母メルセ分館の間から中庭方向(東)を見る。中央は手術棟