カサ・バトリョ その1

バルセロナは 中世の時代には小さな町で、城壁に囲まれていた。19世紀中ごろから人口がどんどん増え、城壁の中のエリアが狭くなり。 1859年に古い城壁が取り壊され、新市街が建築家イデルフォンス・セルダによってデザインされた。

 バルセロナ新市街(アイシャンプラ地区)が出来た後にバトリョ夫妻と同じように多くのプチ・ブルジョアがこの住み心地良い新市街に引っ越した。 バトリョ氏は1877年に建築家エミリ・サラが造った

建物(グラシア通り、43番)を購入。1855年に生まれたジュゼップ・バトリョは、父親から織物の工場を継承、1884年にアマリア・グド(政治家の娘、ラ・バングアルディア新聞社の創立者の姪)と結婚、

子供が5人いた。1900年にカサ・バトリョの左側にある「アマトリェ邸」がリフォームされ、バトリョ氏もガウディに依頼し、2年をかけ(1904年~1906年)、フォーム。

 ガウディは、海・池・水というテーマでバトリョ夫妻の邸宅をリフォームし、ブルーのタイルや曲線がとても多い建物になった。 カサ・バトリョの正面は、カタルーニャの守護聖人「サン・ジョルディ」の伝説、

フランス出身のクロード・モネの「睡蓮」、カーニバル(仮面、カラフルなドレス)をイメージしている。1950年代に家主が変わり、現在はベルナ家が所有。2002年にはじめて公開され、2005年に世界遺産に登録。

 

玄関ホール
玄関ホール奥
2階への階段。形状から「竜の骨」と言われる 上の窓



2階への踊り場にある扉
左の前の上にある明かり取り窓。建物中央にある吹き抜けのパティオから採光している。窓の枠はトネリコという木を使っている。トネリコは椅子や机にも使われている
階段の壁

階段の明かり取り。亀の甲羅をイメージ。

階段を上がって最初に目にするのが「暖炉の部屋」。ここは、オーナーのバトリョ氏の執務室として使われていたが、ガウディは下の入り口から階段までのパブリックスペースと、この部屋の奥にあるバトリョ家のプライベートスペースへの移行空間として位置付け、その役割を与えていた。黄色に見えるのは金箔が使われている
 
両脇の木製のベンチは片側が2人掛けで反対側が1人掛けと変則的。この部屋は暖を取ることや一寸した談話室にもなっている。時に閉ざされた小さな空間で年頃の男女が2人きりになることもあり、その際に間違いが起き無い様に暖炉を挟み向いのベンチにお目付け役の女中が座るように1人掛けベンチがある。
階の中央サロンであるノーブル・ホールの入口 左の扉の下部
下右の扉はアコーディオン式に大きく開くことが出来る

模様のあるところに見えるケーブルは下の木枠を引き上げるもの。

外の柱
窓の取っ手も凝っている
換気が考えられている

たぶんオリジナルの照明。この建物を紹介した他のHPでは普通の照明に変わっていた。
大通り側にサロンを配置するのは次の理由がある。バルセロナの一番のメイン通りであるグラシア通り、そこに建つ贅を尽くした目立つ屋敷。サロンは前を道行く人達からの羨望の眼差しで見上げられていた場所でもあり、その通りを上から見渡すせることが当時のブルジョア階級の特権意識が現れている場所でもあった。

サロンの北隣との欄間
サロンの北隣の部屋
左の窓の上の換気口
待合の間
     
     



   

階段室ライトウエル(光井戸)
1万5千枚のタイルが使われている
タイルは5色あり、上に行くほど青が濃くなっている。