タクシーで移動
リアラ デ カソルス通り(Riera de Cassoles)。濃紺のビル
レセップス・スクエア(Plaça de Lesseps)。名前の由来はフェルディナンド マリー ド レセップスというフランスのエンジニア兼外交官。スエズ運河とパナマ運河の工事を指揮したことで有名。1842 年から 1848 年までバルセロナでフランス領事を務め、その間はグラシアに住んでいた。1842 年 12 月 3 日、エスパルテロの命令によるバルセロナの砲撃の間、レセップスはバルセロナを支持するために直接介入し、その事実が彼にバルセロナの認知をもたらした。


2005年に改装された。このオブジェはスエズ運河を表す
Nou Hospital Evangèlic
グエル公園入口
グエル公園とはガウディの大スポンサーのグエル伯爵が計画した英国風の庭園式住宅地。
ガウディは住宅地を外壁で囲み中へのアクセスを管理できるような宅地計画を作った。ただし公共の交通手段がない上、敷地面積の6分の1しか建物が建てられないとか、勝手に木の伐採が出来ないなど規制があり、結局はグエル伯爵の家(今は学校)、ガウディの家(ガウディ博物館)の他に実際に売れたのは1軒のみで、計画は1914年に断念。
1922年にバルセロナ市が取得し、1984年には世界遺産に登録。
下の図の③の上あたりから
③の上あたりから⑥を見る

オウムがいた
どうも巣穴があるようだ

この造形は石造りの椰子の木。図の⑥の右かつ③の上
     
こちらはハト
こちらは?
グエル邸
真ん中の建物はグエル公園の前にあるチケットセンター
頂上のカルヴァリーの丘(ゴルゴダの丘)。礼拝堂を立てる予定だったが分譲住宅地計画が中止になったため、墳墓のような塚が作られた。2020年6月の本HP作成時には崩壊の危険から登れなくなっている。丘の下に見える丘に通じる道は巡礼の道をモチーフにしている
サクラダファミリアが見える
工事中の資材置き場
中央広場(ラ・ナトゥーラ広場) への有料の入口。この時は17時以降、無料だった
この広場は、縦83メートル、横43メートルの楕円形で総面積2694㎡。ガウディは敷地内の住人が、様々なアクティビティや行事を行うための憩いの場として設計した。また、この広場の地面は「ろ過機能」を備えており、降り注いだ雨は地下の貯水槽に流れ込む仕組みになっている。
ガウディはベンチの設計段階で、石膏が乾く前のベンチに人を座らせて型取りするなど、座りやすいフォルムを研究し、最終的にこの波形の形状に辿り着いた
このベンチは工房で1つあたり2メートル程の完成ブロックとして作製されたものを連結して組みあげられた(現在で言うプレハブ工法)。この工法で作業が軽減され、工期が短縮されたが6年要した
中奥の建物はガウディ邸で今は博物館になっている
ベンチ表面のトレンカディスの装飾は、グエル公園の制作の中では最も後年の1910年から1914年にかけて行われた。担当は、「ジュジョール」。装飾の素材には、廃棄された陶器や、タイル、食器の破片などあらゆるものが用いられた。
守衛小屋(左。今はバルセロナ市歴史博物館)と管理事務所(右。今はギフトショップ)
建物の塔頂部の茶色の水玉の白い部分はコーヒーカップを上下さかさまに埋め込んでいる。これはコーヒー好きだったガウディが、この公園建設中に体に悪いと気づき付き、コーヒーを断つことを決心しその心意気を表しているといわれる。
尖塔はガウディが尊敬してやまなかったドイツの作曲家ワグナー、その庇護者のバイエルン王ルートヴィヒ2世に敬意を表し、青白の市松模様はバイエルンの旗を元にしている。窓が大きいのは朝と夕方の太陽光を取り入れるためで、こちら側が西。塔の下左に塔に登る階段が見える
奥は「洗濯女(ブガデラ)の回廊」。