アルハンブラ宮殿  宮殿と呼ばれているが城塞の性質も備えており、その中に住宅、官庁、軍隊、厩舎、モスク、学校、浴場、墓地、庭園といった様々な施設を備えていた。現代に残る大部分は、イベリア半島最後のイスラム王朝・ナスル朝の時代の建築とされ、初代ムハンマド1世が建築に着手し、その後のムスリム政権下で増築された。スルタン(王)の居所であるとともに、数千人が居住する城塞都市でもあった。   夏場非常に暑いと言われるグラナダの中でもとても涼しい場所に位置し、ウマの背のような形をした緑多い丘に立地。14世紀の学者アフマド・アル・ウマリーの地理書によると、スルタンは月曜と木曜にアルハンブラのある丘の上で、人民に対し、コーランの10章とムハンマドの言行録の一部を朗読したとされる。建築の材料には、レンガ、木材、練土などのもろいものが多く、彫刻を施した石材などは最低限しか使用されていない。アルハンブラ宮殿の中心は、いくつかの建造物に囲まれた中庭(パティオ)におかれ、他のイスラーム建築の例に倣っている。建物は白を基調としているが、アルハンブラとはアラビア語で「赤い城塞」を意味するアル=カルア・アル=ハムラーと呼ばれていたものが、スペイン語において転訛した。

マニュエル・モリーリョの店。寄木細工
Artesanoは職人の意
Plaza Isabel La Catolica

入口を振り返る。右に見えるのは「水の塔」
Medinaとあり旧市街の跡?
落書き多し
puerta de los siete suelos(7層の門)。ボアブディル王がアルハンブラを去る時に通り、王自らの意向により、その時以来、この扉は永久に閉じられたまま。る。 バルタサール・デ・ラ・クルスの搭、その左に見えるのがファン・デ・アルセの搭、七層の塔及び門ともに ナポレオン軍撤退の際の爆破で最も被害を被ったが、昔の版画により構造が分かっていたために当時の姿に再建された。
黒いオウムみたいなのがいた 宮殿の中にある4つ星ホテルのパラドール・デ・グラナダ HPはこちら
カルロス5世宮殿

ぶどう酒の門。1554年から門の内部にあった免税のぶどう酒市場がもとになって付いたという説が一般的。アルハンブラ・アルタ地区への通用門り、軍事領域と市井の空間との境界線にもなっていた。奥に見える搭は、右側がオメナッヘの搭、左側がケブラーダの搭。