トレド その2
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プラドコンベンションセンターの土産物店。エスカレータでここに出てくる。 |
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来た方を振り返る |
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ソコドベル広場 |
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トレド市庁舎。トレド大聖堂の前にあり、中に展望台もある。 |
画家エル・グレコの息子であるホルヘ・マヌエル・テオトコプリが設計したルネサンス様式の建物 |
トレド大聖堂1226年、カスティーリャ王フェルナンド3世時代に建設が始まり、カトリック両王時代の1493年に完成。構造は13世紀のフランスゴシック様式の影響を大きく受け、ブールジュのサン=テチエンヌ大聖堂を模したとされる。それにムデハル様式など、スペイン独自の特徴が加わっている。全長120mで幅が59m。
4つの側廊と22の礼拝堂からなり、スペインで一番の規模を誇っている。教会の中の聖具室は美術館となっており、エル・グレコの作品が展示され、初期の傑作で、キリストが十字架に架けられる直前の姿を描いた「キリストの聖衣剥奪」がある、他にゴヤの「キリストの逮捕」、ラファエロ、ティツィアーノ、カラヴァッジョ、ヴァン・ダイクの作品もある。 |
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高さ90mの壮大な鐘楼。大きく二つの形に分けられ、下部四角の4段の創造物とその上に小尖塔がついた8角形の構造から成り、設計はそれぞれ別の人物。
最上部の3つの冠はローマ教皇が被ったものから作られた物。もともと塔は左右に造られる予定だったが、地盤が弱かったため礼拝堂に変更された。エル・グレコの息子である建築家のホルヘ・マヌエルも塔の一部を建築したといわれている。
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ゴシック様式の「免罪の門」。この門は通常閉じられており、大司教や一国の元首を迎え入れる時のみ扉が開く。 |
「最後の晩餐」のキリストと12使徒の像が一直線に並ぶ、18世紀に造られた |
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左の裁きの門 |
中央の免罪の門 |
右の地獄の門 |
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大聖堂前にあるアユンタミエント広場にあるトレドの地図 |
主な場所には地図に番号がふられている |
右にはその名前がある。アルカンタラ橋やカテドラル、アユンタミエント広場の文字が見える。PUENTEは橋、PUERTAは門の意。 |
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免罪の門の一番上のところ |
大聖堂の西側 |
左の写真の右のアップ |
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こういう重厚な扉が多い。 |
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トレド都市主義の市議会 |
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左は市庁舎の裏手。奥はArmaduras Arroyoというトレド鋼の店 |
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中左は1941年日本製のサーベル。本物とある。 |
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置時計やマリア像 |
市庁舎の向かいのタパスバーEl Torreonで休憩 |
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趣のある電灯 |
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トレドの神話と伝説…エル・ホンブレ・デル・パロ。 動いているのを見ることと引き換えにお金を求めた好奇心の強いロボットオートマトン、またはその町の最年少の子供たちがクリスマスに三人の王に手紙を届けたことによるもの。今日、皆、ロボットの強盗を見ることに慣れています。いくつかのコインと引き換えに、美しい木製の馬、幸せな象、レーシングカーの後ろに乗った子供たちが私たちを幸せにする。 トレドには、偉大で忘れられた発明家の一人が住んでいた。イタリア生まれでバロ出身のフアネロトゥリアーノ。テージョ川からトーリードの最高部まで水を引き上げた他は発明の記憶は無い。彼は公式の時計職人として世界初の惑星時計を作るようにマドリードの裁判所に呼ばれた。 彼はエスコリアル修道院の建築を手伝い、教皇自身がグレゴリオ暦を作るのに彼を呼んだ。時計仕掛けのメカニズムを備えた高さ40センチの人形は、さまざまな方向に歩き、頭と目を動かし、口を開き、腕を動かし、十字架を押し付けるジェスチャーを作るフランシスコ修道士を表している。 しかし、彼はカトリック教会によって告発され、マドリードの裁判所で有罪とされ、カトリック教会に多額の金銭の支払を強いられ破産し亡くなった。彼の唯一の犯罪は、偉大な天才であり、パロ人形を作成したことだった。 住民と訪問者はパロで作られた神よりもパロ人形にお金を与えることを好む。トレドでは、この物語を宝石商やオルゴールに紹介するのが通例。 |
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