故宮博物院 その5

 

北宋皇室の駙馬(宝安公主の夫)王詵(1048-1104)は、風雅な盛事として知られる「西園雅集」を邸宅で催した。当時の著名な文化人─蘇軾(1037-1101)や黄庭堅(1045-1105)、李公麟(1049頃-1106)、米芾(1052-1108)などが貴賓として出席、後に李公麟が絵図を、米芾が記を著してこの稀に見る盛会を記念した。しかしこの雅集は人による偽造が研究により明らかになっている。ただし、人々の西園雅集への憧憬が薄れることはなく、明代中期になると、大量の模写や偽作が出現した。
清の時代の絵

書道は漢字文化圏特有の芸術であり、中国文化の伝統の中で体系化され、日常生活にも深く根付き、古今を通じ人々に親しまれている。古代から現在までの中国の書道の発展は、常にすべての人々の関心事であり、この展覧会はその発展の背景を明らかにするためにこれから始まります。秦と漢の時代(BC221-AD220)は書道の発展にとって重要な転換期だった。夏、殷、周の三代以来枝分かれしていた古文と大篆、銘刻が統一され、標準的な書体である小篆が誕生した。一方、春秋戦国時代いに登場した隷書は篆書が簡略されつつ成熟し、漢代には一般的な書体に発展した。簡略化を推し進める風潮が盛んになるにつれ、隷書も変化と文化を繰り返し、その結果、草書と行書、楷書が生まれた。
書体は絶えず変遷を繰り返し、魏晋南北朝(220-589)に至ると過渡的な書風や書体の入り混じった表現が現れ、長い年月をかけ変化する中で、結体や筆法がおのずと規律かされていった。
 続く隋唐時代(581-907)も重要な時期の1つにあたり、政治的統一により南北各地の書風が合流し、筆法が完成され、楷書が歴代を通じて使用される書体となった。
宋代(960-1279)以降、著名な初夏の書跡を後世に伝えるために法帖が盛んに作られるようになった。しかし、宋代の書家は古典の継承だけでは飽き足らず、自分の個性や自然の趣を表現しようとした。
元代(1279-1368)に至ると、復古が提唱され、晋唐時代の書法の伝統が継承された一方、伝統に束縛されない意識も次第に強くなり、明代(1368-1644)になると、縦横に筆を揮う奔放な書風が登場した。明代の書は非常に多彩な様相を呈し、行草書の表現は特に自由奔放で、当時のあくまで伝統に則った書法と対比を成した。
清代(1644-1911)以降は、三代及び秦漢時代の古文や篆書、隷書などが相次いで出土した。実証的な考証学が勃興する中、書道界にも金石額が起こり、刻石と法帖を照らし合わせることにより、書法の発展に古今の繋がりがい見いだせるようになり、篆書と隷書から古きを学びつつ新しい創造を目指すことが可能になった。
106号室の工芸品
500年もののサンゴ
桃を供える猿の金細工のヘアピン。清時代。
カワセミの羽根、サンゴ、宝石が付いた銀製のヘアピン トンボのヘアピン
象の時計。19世紀のもの
透かし彫りレリーフの人物を入れ子にした同心円層の象牙ボール
柘榴の形で覆われた透かし彫りの象牙の箱、清の時代のもの 象牙の山水の彫刻 象牙の鎖
ハスの葉の形のトレー 彫られた象牙製の肘掛け、海を渡る8人の不死者
琥珀の玉と戯れる獣 赤い鬼みたいなのは九栄という元学者で北斗七星の頭になった
龍の頭の上に立って足は北斗七星の主星に向かい蹴り上げている。これは科挙の試験でトップになったことを占めす。下はプランターになっていて長寿を表すコウモリが飾られている