迪化街(ディーファージェ) 

19世紀中頃の清朝末期、貿易や船荷を扱う商店が街を形成し始め。城隍廟が建立された。清朝は樟脳、日本統治時代には茶葉が台湾の特産品となり、その積出港となっていたのが「大稻埕」これは、迪化街の昔の名前。20世紀初頭の日本統治時代は、台湾全土から乾物、漢方薬、お茶、布などを扱う商店が集結し、台湾の主要な商業エリアとなった。通りには、美しいバロック建築の建物が並び、裕福な商人たちはこの街に集結した。戦後になって「迪化街」という地名がついた。現在でも台湾一の漢方、乾物、布問屋街としてにぎわう。域内にはおよそ370棟の建物が並び、その半分程度にあたる178棟が歴史的建築物

写真左右(東西)の通りが歸綏街、手前から奥(南北)の通りが迪化街
典化文化芸術というアートギャラリー。詳しくはこちら
紙で造形しているみたい
林豊商店

乾物屋の懐結堂薬行有限公司
左の透明の丸いケースはつばめの巣
補助輪付きスクーター
創業から120年が経つ老舗です。迪化街のある地区一帯は昔、港町として貿易と経済の拠点であり台北の中心地でした。その場所で五代も続いてきた

た「平安亀」です。もともと長寿をお祝いしたり神様にお供えしたりするのに使われるお菓子。ぱっと見はお饅頭のようですが、この茶色い部分は小麦粉から作られたものではなく、ピーナッツの粉と水あめを合わせたものからできています。 JAL推奨、詳しくはこちら
廸化街十連棟
亭仔脚(騎楼)。街路に面した建物の正面に作られた、隣家と連結されたアーケード、商店街の屋根のような公共的な側面をもつ構造物
タクシーで中山へ。迪化街の北の端にある民権西路