岡山県津山の誕生寺へ 2023/11/11-13 夏の東北ドライブに続く長距離ドライブの2弾目、萩と門司、広島へ 

           


自宅→伊勢自動車車道→新名神→草津で名神→吹田から中国自動車道

ここは西宮山口ジャンクション


芦屋ジャンクション(下の地図の青いところ)


姫路市の北にある加茂神社

ちなみに山陽道は9月の事故の復旧で通行止めが12月15日まで続いた

 

津山城址。説明は次に

津山城址 美作国苫田郡津山にあり別名・鶴山城(かくざんじょう)。日本三大平山城のひとつ(他の2つは松山城と姫路城)。津山盆地の中央部に位置し、城の東部を流れる吉井川支流の宮川及び丘陵の天然の断崖を防御線に取り入れている。城の南部を流れる吉井川とその支流で西部に位置する藺田川(いだがわ)を外郭とし、その内側に城下町の主要部を形成。   写真の川は宮川。

室町時代、1441-1444年美作国の守護大名であった山名教清が、一族の山名忠政に現在の津山城のある丘陵(鶴山)に鶴山城を築かせたのが最初。応仁の乱で山名氏衰退ののち廃城。 江戸時代 1603年森忠政が18万6千石で入封し津山藩が立藩。同年、現在見られる津山城の築城に着手。また、城地の名を「鶴山」から「津山」に改めた。 1616年(元和2年)13年の歳月をかけ完成。天守、櫓、城門などを合わせ80余棟が建ち並ぶ近世城郭となった。1697年(元禄10年)森家断絶。安芸国広島藩主・浅野綱長の預かりとなる。 1698年(元禄11年)松平宣富(越前家)が越後国高田藩より10万石で入封。以後、明治4年(1871年)の廃藩置県まで城主となる。

往時は外郭を含めて、広島城の76棟、姫路城61棟をしのぐ77棟の櫓が建ち並んだ。

明治6年(1873年)の廃城令により天守・櫓などの建物が破却され、現在は遺構の石垣や建物の礎石が残り、2006年(平成18年)に再建された備中櫓と土塀がある。 上は壊される直前のもの

中左の山の上の建物は旧作陽高校、その右の三角屋根の建物も。今年2023年4月に倉敷市内に移転している。90年前に開校しサッカー、柔道の強豪校として知られる。

写っている川は吉井川

津山駅。ここには扇型庫が津山まなびの鉄道館として残っている

9:00 誕生寺に到着。自宅から4時間300㎞

山門。1716年(正徳6年)建造で浄土宗寺院の中では比較的例の少ない山門薬医門の典型的な様式。薬医門は、門の基本枠組みをなす冠木と鏡柱の枠に控柱と横木を添えて強度を強めた門の様式で

         

御影堂。1695(元禄8年)に再建された二重の五間堂の寺院建築で、正面に唐破風造の向拝を持ち、浄土宗における仏堂型本堂の中でも本格的なものとして建築史的にも貴重な建物とされる


 


保延7年(1141年)法然上人が9歳のとき、土地争論に関連し、明石源内武者貞明が父に夜討をしかけて殺害してしまうが、その際の父の遺言によって仇討ちを断念し、菩提寺の院主であった、母方の叔父の僧侶・観覚のもとに引き取られた。その才に気づいた観覚は、出家のための学問を授け、当時の仏教の最高学府であった比叡山での勉学を勧めた。

天養2年(1145年)比叡山に登った


 

 

観音堂

 

 

 

竹林賢人の図

 

老松

 

山門手前300メートルほどに位置する六地蔵の祀られている娑婆堂。

塔には南無阿弥陀仏と書かれている

毎年4月に誕生寺お会式としてここから御影堂に行列する。

 

お会式とは正式に「法然上人御両親御追恩二十五菩薩天童迎接練供養会式大法要」と称し室町時代より始まる。法然上人の両親を供養する浄土宗唯一の法要で、日本三大練供養の1つに数えられている。 誕生寺本堂を極楽浄土に、娑婆堂を現世にたとえ、浄土門主御代理導師のもと二十五菩薩の来迎により上人の御両親をお浄土へお迎えするという儀式です。毎年上人の、父君(時国公)・母君(秦氏君)を輪番で供養する。

建物の奥に岡山から津山を結ぶ津山線の誕生寺駅がある