下関から門司、錦帯橋
|
13:26唐戸市場から関門トンネルを通って門司へ |
![]() |
唐戸市場の北のトンネルをくぐる。 |
|
一旦国道2号線に出て、この先を左折し関門トンネルへ |
関門トンネル料金所。普通車180円。 |
関門トンネル入口 |
|
トンネルの中 |
門司に出る。 |
門司港に近くに車を停めて門司港レトロ散策 |
|
フリーマーケット |
|
門司港レトロ観光線。「九州鉄道記念館駅」「出光美術館駅」「ノーフォーク広場駅」「関門海峡めかり駅」の4つの駅を30分で結ぶ |
|
大連友好記念館 |
![]() |
友好記念館から南方向。右の建物は旧門司三井倶楽部 |
|
旧門司税関 |
|
![]() |
|
ブルー ウィングもじ 関門海峡を望む歩行者用跳開橋。渡ったカップルには幸せが訪れると言われている。 |
バナナマンの像。ブラックはエコと節電の使者。バナナマンは愛と正義の使者。 |
門司港発祥のご当地メニューの焼カレー |
|
旧門司三井倶楽部 |
大正10年に三井物産門司支店の社交倶楽部として現在の門司区谷町に完成。 昭和24~62年までは旧国鉄の所有となり、「門鉄会館」として利用されていた。 旧国鉄の民営化により国鉄精算事業団の所有となり、その後北九州市に無償譲渡され平成2年3月、国の重要文化財に指定された。 「門司港レトロめぐり海峡めぐり推進事業」において、この建築物を門司港駅前に移築し保存活用するため、平成2年7月より解体工事、平成3年3月より移築工事を開始。 建物は木造2階建でアールデコ調。外壁は、木の柱や梁などを骨組みとして外に見せるハーフティンバー形式で縦、横を強調する木部のダークブラウンと白の窓枠とシックな壁色とのコントラストが外観を特徴付けている。これは英国ではチューダ様式と呼ばれているもの。 2階には、アインシュタインイ博士夫妻が滞在した部屋がアインシュタインメモリアルルームとして復元されている。 |
|
|
1階エントランスホール入口の欄間には帆船を描いたステンドグラスがはめ込まれて港町門司港の華やかな時代を今に伝える。 |
|
![]() |
|
|
![]() |
JP門司港ビルは、昭和2(1927)年に建設された鉄筋コンクリート造4階建の建物。 |
|
郵便汽船三菱会社が共同運輸会社と合併して「日本郵船」となった明治18(1885)年当時、門司港はまだ開港されていなかった。 「郵船寄港制度」で郵船に限り貨客の取り扱いができる港になっていた。 明治22(1889)年に特別輸出港に指定されると、翌年には、はね橋から奥に「第一船だまり」が完成。石炭や飼料などの荷役に活躍した「はしけ」と呼ばれる小舟の停留場所として大いに賑わいを見せ、活況は昭和50(1975)年頃まで続いた。 明治24(1891)年には、現在の門司港駅よりやや山側に門司駅が開業。船と鉄道の結節点として金融関連会社や商船会社などが軒を連ね、急激に市街地が形成された。 JP門司港ビルは、海岸道路の西側通りとJR鉄道との2つの路線が交わる駅前地点に建ち、門司市内の重要な移動手段であった路面電車道路からもわかりやすい位置にある。 日本郵船はライバル会社の大阪商船に遅れること1年、明治25(1892)年に赤間関支店の出張所として初めて門司港に進出を果たした。 日清戦争後の門司港の繁栄とともに明治36(1903)年には門司支店に昇格し、代わりに下関支店が出張所に格下げされた。 大正6(1917)年に大阪商船門司支店が新築開業したのに続き、昭和2(1927)年に現在のJP門司港ビル(旧門司郵船ビル)が完成。 この地域で最初のアメリカ式オフィスビルで、エレベーターや暖房器具(ラジエーター)、集約型の給湯室、水洗トイレなど、当時の最新設備を備えていた。 |
|
1914年(大正3年)に門司駅(当時)として開業、 1942年(昭和17年)に門司港駅と改称され、1988年(昭和63年)には鉄道駅舎として初めて国の重要文化財に指定された。 2019年(平成31年)には6年にも及ぶ復元工事を終え、大正時代の姿に復元された門司港駅がグランドオープンした。 木造二階建ての駅舎はネオルネサンス様式といい、左右対称の造りが特徴的で「門」を表現しているとも言われる。 今も現役で活躍する駅舎構内には九州鉄道の起点を表す「0哩(ゼロマイル)標」、門司港に帰り着いた引揚者や復員兵が安堵の思いで喉を潤した「帰り水」、戦時中の金属供出から逃れた「幸運の手水鉢」等ある。 九州鉄道記念館を見たかったが錦帯橋に行く時間となったので駐車場に戻る。 |
|
門司港駅玄関の照明 |
門司港の西200mのところにある六曜館。 |
|
![]() |
左の地図の第二小原ビル1階。 | |
|
岩田講堂。旧岩田商店。北九州市指定文化財。 |
所有者である岩田基氏は、大学で声楽を学び、蔵を改装しウィーンで学んだ声楽を披露するコンサートを開いている。 岩田商店は祖父母によって創業された酒店。創業後まもなく建てられ2022年に築100周年を迎えた大正期の優れた町家建築。 岩田家は岡山にゆかりがある江戸時代中期からの旧家。 江戸時代の岩田家は、北前船の寄港地であった玉島港の廻船や繰る綿問屋。 明治時代を迎え流通の主体が帆船から汽船へ移り、さらに鉄道へと移行する。 大型化した船に対応できなかった玉島港が衰えはじめるころ、岩田家は火事をきっかけに門司港へ進出。 当時の門司港は特別輸出港として開港し、瀬戸内海地域に加え大陸との航路を結ぶことで、国内外から物資や人々がゆきかう国際港となっていた。この時期の門司港では出光など多くの企業が生まれている。 岩田家は、ビールの需要と鉄道による流通に注目し販路を広げる。 日露戦争や第一次世界大戦によって酒類の需要が高まり、料亭や駅の食堂車などの卸売も増加。 戦時中に海外進出をせず、空襲の被害も逃れた岩田商店は、戦後も事業を展開。基の父・一三は、1975開通の山陽新幹線での酒類販売権も獲得。跡取りとして期待された妹が婚出し、ウィーンでの留学から帰ってきた基は店を継ぐ。 時代が平成に入り酒類販売業に規制緩和が施され店を畳むことになる。借金を負うことなく資産を整理した基は、岩田商店の蔵を自身の声楽を発表する場所として改装し、今に至る。 旦過市場の火災による大學堂の取り壊しを知った基は、旧岩田商店の家屋を新しい大學堂の拠点とすることを提案し、2022年10月門司港に大學堂・岩田講堂が生まれた。 大學堂とは北九州市立大学の自主ゼミである九州フィールドワーク研究会(野研)が 2008年よりを起業したもの。6つの街の縁台がある。 |
門司港ICから関門自動車道に乗り関門橋へ 関門自動車道はアジアハイウェイ1号線の一部。アジアハイウェイ1号線の総延長は20,557 kmで、アジアハイウェイの中で最も長い路線。 東京を起点とし、韓国、北朝鮮、中国、ベトナム、カンボジア、タイ、ミャンマー、インド、バングラデシュ、インド、パキスタン、アフガニスタン、イランを経由してトルコとブルガリアとの国境付近の終点に至る。 |
|
関門橋 全長1068m |
1973年11月14日開通 |
中左の島が巌流島 |
|
右は三菱重工業下関造船所江浦工場 14:56 |
美弥東JCT 15:26 |
15:35 |
|
|
トンガリ山その1 石船山 426m 防府市 |
|
|
その3 竜ヶ岳 周南市 |
岩国IC出口あたり 16:33 |
岩国城の城山。北側から |
|
錦帯橋手前。これは南から |
河川敷の駐車場に駐車。16:42 |
ミニチュアモードで撮影 |
|
1673年(延宝元年)に岩国藩三代藩主の吉川広嘉が創建した。長さ約210m、幅約5m、高さ約11mの木造橋 |
創建350周年記念で前日から錦帯橋芸術祭2023が行われた |
芸術祭の1つ竹燈籠。2日間17:00-19:00 |
|
|
岩国城。初代岩国藩主吉川広家(きっかわひろいえ)によって慶長13(1608)年に作られた山城で眼下を流れる錦川を天然の外堀にし、標高約200メートルの城山に位置していた。 三層四階の桃山風南蛮造りだったが、築城後7年で一国一城令により取り壊された。現在の天守は、昭和37(1962)年に再建された。 |
岩国城ロープウェー 9時から17時まで15分間隔で運行。往復560円 |
|
錦帯橋下の錦川でアユ釣り。ここは数釣りの名所。上流ではアマゴが釣れる。 |
佐々木小次郎は岩国で生まれ、錦帯橋畔でツバメ返しの術を得た。これにちなんで「むさし」と名付けた。日本一というのは100種類あることから。100種類はこちら 看板の200種類は味は100種類×カップとコーンという意味? |
30名乗りと |
|
|
|
吉香公園 錦帯橋の北側にある岩国を治めた吉川家の居館や家臣の屋敷跡地に造られた大公園。日本の歴史公園100選の1つ。 ロープウエイの乗り場は公園の北東の端にある |
|
吉香公園の西隣にある紅葉台公園 |
|
公園内の石組 |
|
|
|
|
![]() |
|
|
|
|
![]() |
岩国高校記念館 岩国中学校〜岩国高等女学校〜山口県立岩国西高等学校(後の岩国高等学校)で使われてきた建物。 大正5(1916)年、岩国中学校に御大典記念武道場として旧女学校の校舎の一部を基にして建てられた。 岩国中学校は藩校「養老館」の流れをくみ、明治13(1880)年に養老館の跡地に創立され、明治18(1880)年に現在の岩国徴古館の位置に移された後、明治34(1901)年にこの地に移転された。 岩国高等女学校は、明治35(1902)年に創立され、旧岩国中学校の校舎を使ってきたが、大正4(1915)年に川西に移転。 戦後の学制改革で、昭和24(1949)年に両校が統合し、山口県立岩国西高等学校(翌年、岩国高等学校に改称)となり、昭和43(1968)年に向山の現校舎に移転。 |
|
竹ちょうちんに火が灯る |
かがり火も焚かれていた。これも芸術祭の1つ |
|
|
|
|
|
|
|
祝錦帯橋創建350周年の文字が見える |
10月28にはNHK『ブラタモリ』で「錦帯橋~錦帯橋にはなぜ世界唯一の美しさがある?~」が放送された。 |
|
|
かがり火に薪をくべる |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
||