広島の夜と尾道坂の街1
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基町クレド・パセーラは広島市の商業の中心 紙屋町地区に位置し、イベントの開催や11FのNTTクレドホールでの催事などエンターテイメントが充実したショッピングセンター。 冬の高さ15mの巨大クリスマスツリーは広島の冬の風物詩として定着。 |
NTT都市開発はそごう広島店新館跡を中心に施設構成を刷新し、現在営業中のパセーラとともに、商業施設全体を新生「パセーラ」として再生。新生パセーラは2025年度以降順次開業予定。 パセーラ・そごう広島店新館跡・リーガロイヤルホテル広島から構成される基町クレドは開業29年を迎える。 新施設では「新たな体験とワクワク感」「衣食を通じた日常と非日常」「ここだけの環境演出」といった価値の提供を目指す。再生のコンセプトは「広島市都心部での過ごし方を変える拠点“MOTOMACHI CENTRAL BASE”」。 再生後の高層ゾーンでは、パセーラ、リーガロイヤルホテル広島、広島バスセンターとの結節点である6階をベースとして、遊ぶ、食べる、癒されるといった新たなコト消費の提供を目指したサービス・エンターテイメント性のあるテナントの誘致を計画。 低層ゾーンには「都心にあったらうれしい」と感じられ、日常・非日常を彩るライフスタイル提案型テナントを集積する。 |
![]() 黄色いところが紙屋町交差点、左右が相生通り、上下が本通り |
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パセーラから1.4㎞南東にある新天地へ |
お好み焼き元祖へんくつや本店。左が本店、右が総本店新天地店 |
広島風お好み焼きの元祖がこの世に誕生したのが戦後間もない昭和25年で今のみっちゃん総本店 八丁堀本店 それより前の昭和22年創業を謳うお好み焼き屋さんが新天地にあった。それがこの元祖へんくつや総本店 元祖へんくつや総本店のルーツは昭和22年(1947年)に創業した屋台で、屋台主はみっちゃん総本店の創業者の父と友人関係で、当時の流川でこの2人だけお好み焼きを提供していた。 その後昭和29年(1954年)に屋台を元祖へんくつやの創業者の川原静子さんに譲渡。 川原静子さんは 女学校を出て日本生命保険会社の本店にトップで入ったプライドを捨て、子どもたちを学校に行かすために広島に戻ってきた。子どもを故郷の島に預け一人でお好み焼きの屋台を始めた。 だんな(濶)の姉は学生服を着てキャベツを切っていた。 当時から阪神の安藤統男や村山実らが来ていた。 2代目女将の川原久子さん(77)は20歳で大津市から広島市に嫁いだ。久子さんは専業主婦だったが、「へんくつや」は1980年代に久子さんが35歳の時に店が倒産。 久子さんは川原家の私がしてこそ価値があると思い引き継ぎ、その後店は順調に回復。2007年8月、久子さんは脳梗塞で倒れる。入院している時に岡田が旧市民球場に招待し、無事回復。お好み焼き屋の暖簾は赤が定番だが、阪神カラーの黄色にした。 現在は久子さんの娘の夫の沖中幸夫氏(3代目)が経営。 |
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えびす通り、下の地図の八丁堀の黒の文字の下あたり |
胡子大祭は、毎年11月18日19日20日の3日間に中区胡町にある胡子神社で開催される秋季大祭で、とうかさん大祭、住吉祭と並ぶ広島三大祭の1つ。 広島に冬の訪れを告げる祭りで、地元では「胡子(えびす)講」とも呼ばれ、商売繁盛の守り神。 神社付近の商店街では「誓文払い(せいもんばらい)」の大売出しが行われ、大判・小判、宝船などを飾りつけた縁起物の「こまざらえ(竹のくま手)」を商売繁盛を願う人々が買う。 |
八丁堀から本通方向の広電を待つ |
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広島駅行 宮島口行 | |
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間違って真っすぐ行くのに乗ってしまい、紙屋町西で降りる。 |
ひろぎん本店 本通りの紙屋町交差点南にある。上の縦長の地図の右下。 |
市電の連結部分 |
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ホテルマイステイズ広島 平和公園前 |
朝食 |
ヨーグルトは地元のチチヤス |
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部屋から、右は広島平和記念資料館 |
正面奥の黒いビルの前に原爆ドームが見える |
手前の写真のアップ |
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手前の写真の右(北方向)広い通りは平和大通り。左の建物はNHK |
泊まったホテルの前。9:03 |
NHK |
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右奥の高い建物が広島銀行本店。広島本通り |
紙屋町駅 |
3950型の連接車 6編成ある。1997、98年製。定員152人 アルナ工機製造 宮島線の主力機 |
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的場町。真っすぐ行ってJRのガードをくぐる |
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10:18呉。広島から1時間10分。中右の看板は千光寺山ロープウエイ乗り場案内。右はワッフル屋茶房こもん。写真に写っていないがその右にガレットゥーリ コモンもある |
橋本渡船乗り場。現在運航の尾道・向島間の渡船の中で最も歴史が長い 大林宣彦監督の映画「ふたり」「さびしんぼう」のロケ地となったり、「龍が如く6 命の詩」にも尾道仁涯町の“仁涯渡船場”として描かれている。 始発は朝6:30~最終は20:10。約10分間隔で約3分で対岸に到着 片道運賃大人60円、小児30円。自転車10円、バイク20円、普通車100円 |
バルバス・バウ(Bulbous Bow)が大きい。船の造波抵抗を打ち消すために、喫水線下の船首に設けた球状の突起。球状船首、船首バルブともいう。「Bulbous」は「球根状の」、「Bow」は「船首」という意味。 |
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奥が尾道駅 |
、街歩きのスタート地点。右奥は元尾道尋常小学校の土堂小学校。校舎は明治37年6月完成。 |
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持光寺。立派な門は延命門。裏山の日輪山より切り出された36枚の花崗岩で出来た大石門 | |
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承和年間(834~848年)、慈覚大師により天台宗の寺として草創された。 永徳2年(1382年)浄土弘伝の沙門善空頓了上人により浄土宗の寺に中興改宗され、以来京都東山・禅林寺(永観堂)の末寺となる。 |
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電気機関車EF210(当初殆どが岡山機関区所属であったので桃太郎のラッピングをしている)が牽くコンテナ列車が通る |
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元禄15年(1702年)直空諦岩上人により、大仏師・法橋安清の作、1m5cmの座像・五劫思惟阿弥陀如来をご本尊として迎えた。 |
にぎり仏。右の写真は中山秀征と住職 |
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平田 玉蘊(ひらた ぎょくうん、天明7年(1787年) - 安政2年6月20日(1855年8月2日)は、江戸時代後期の画家。名は豊(とよ)のちに章(あや)。玉蘊は号。備後国尾道の人。 白井華陽『画乗要略』に記載された22名の女流画家の一人。当時としては稀な自立して画業で生計を立てた女性であり、終生尾道で活動していたが全国で名を知られていた。多くの作品を残したにもかかわらず、作品評より頼山陽との関係について語られてきた。 |
御朱印記帳中。 |
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ビュウホテルセイザン HPはこちら |
臥龍の松。西に枝が25Mもあったが平成10年に白い花をつけて枯れた |
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光明寺への案内 |
路地を東に進む |
花ねこに立ち寄る。明るいご婦人が猫の置物を製作 HPはこちら |
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よその猫。首には「エサを与えるな」 |
土間に猫の足型 |
花ねこの前の民家ⅣAdult cat Ⅲyoung cat |
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Ⅱchild Cat Ⅰ1Baby Cat |
ⅥFallin Love |
ⅦGet Married ⅧHaving a Baby |
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料理と抹茶の禅和庵 |
千光寺山 四国寺寺 浄土寺山 |
奥の建物は十堂小学校 |