岡山県津山の誕生寺から津和野へ
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誕生寺駅の二つ津山寄りの亀甲(かめのこう)駅。駅がある美咲町には亀甲岩というのがある。その昔この地で行き倒れた聖人を里人が憐れんで埋葬したところ、とある青い月の夜に巨大な岩が弘法大師の像を乗せてせりあがり、そしてその岩が亀の甲羅のようだったことから「亀甲岩」と呼ばれ、地名にも使われるようになった。 |
![]() これが亀甲駅。亀甲駅がある美咲町はたまごかけご飯発祥の地と言われる。 ここ出身の新聞記者の岸田吟香が明治5年に初めて卵かけご飯を食べたとされ、それを広めた。また西日本でも最大級の養鶏場がある。 |
日本植生グループ本社 |
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日植グループ創業者柴田 正氏は16歳で海軍に入った経験をもとに企業経営を行った。海軍精神による愛国心と一体化経営を実践、承継するため、帝國海軍ゆかりの資料を展示する記念館が奥にある。 |
中国自動車道を走る。屋根瓦が茶色なのが多い、 |
安佐SA(広島県)でお昼。中国自動車道のSAはどこも小ぶり。 |
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広島北JCT。左の中国道に入る。右は山陽道。 |
女鹿平温泉めがひらスキー場。リフト5本を有す。広島県廿日市市にある。市内の南の端が厳島神社がある厳島。 |
ここらが中国道の標高最高(721m)地点。吹田市から下関市までの540㎞で高速道路で東北自動車道(川口青森680㎞)に次ぐ長さ。ちなみに3位は新潟米原を結ぶ北陸道(477㎞) |
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島根県に入る |
六日町ICで高速を降り津和野へ。ようきんさった。吉賀(よしか)町の看板があった |
ようこそ津和野の看板がある |
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まず津和野駅へ |
D51 194号機 山口線SLさよなら列車を牽引 |
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右上のデッキが展望スペース。左端に安野光雅記念館が見える |
展望スペースに登る |
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やまぐち号が止まっていた。 |
残念ながらSL(C571とD51200)は検査中でDD51 1043(1973製造)が代替。DD51も西日本で8両しか残っていない。 |
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石見の神楽在月のポスター。日本神話を題材に、哀愁ある笛の音、活気溢れる太鼓囃子に合わせ、金糸銀糸を織り込んだ豪華絢爛な衣裳と表情豊かな面を身につけて舞う。 |
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記号の意味は次のとおり オ:大型(32.5-37.5t) ナ:並、中型(27.5-32.5t) ス:すこぶる大型(37.5-42.5t) ロ:二等車(グリーン車) ハ:三等車(普通車) 35の3は鋼製 5は2軸ボギー車 4001は製造番号だがこの5つの車両はいずれも特殊車で同じ番号になっている |
オロテ35-4001 スハ35-4001 ナハ35-4001 オハ35-4001 スハテ35-4001(上の写真) |
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オロテ35-4001 |
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DD51はD:ディーゼル機関車 D:4軸駆動 51はDD形式の51番目の型 |
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オロテのシートは分厚い布張り |
オハの背もたれは木製 |
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町立安野光雅美術館。2001年開館 |
安野光雅(あんの・みつまさ/1926~2020) 大正15年3月20日 津和野町に生まれる。生家は宿屋を営む。 昭和7年 津和野小学校へ入学。 昭和14年 津和野を離れ宇部高等小学校へ転校。 昭和20年4月 召集、同年8月15日香川県王越村で終戦 昭和23年4月 代用教員として徳山市加見小学校(現周南市)に勤務 昭和25年3月 美術教員として上京、玉川学園に勤務 のち三鷹第五小学校、武蔵野第4小学校に勤務 昭和36年 教師を辞めて画家として独立 昭和43年 文章がない絵本「ふしぎなえ」で絵本界にデビュ 好奇心と想像力の豊かさで次々と独創性に富んだ作品や 淡い色調の水彩画で、やさしい雰囲気漂う風景を描いた作品などを 数多く発表 代表作には「ふしぎなえ」、「ABCの本」、「天動説の絵本」、「旅の絵本」 「繪本 平家物語」、「繪本 三國志」や司馬遼太郎の紀行「街道をゆく」の 挿画などがある。 |
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駅前の通りがメインストリートだが店はそれほどない |
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竹風軒。こしあんをカステラ生地で巻きあげた源氏巻が津和野の名物 |
奥は津和野大橋 |
森鴎外記念館入口。森鴎外の記念館は文京区にもあるがこちらの方が古い。旧宅の南側に隣接している。 |
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森鴎外像 |
記念館全景。中には入らず |
旧宅 |
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北側の正面から |
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茶の間の窓から居間、座敷 |
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茶室の前から座敷・物置方向 |
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森家は代々津和野藩主、亀井家の御典医を勤め、鴎外も幼い頃から論語や孟子やオランダ語などを学んだ。 |
茶室が林太郎の勉強部屋だった |
詩碑 新宮出身の佐藤春夫(1892-1964)の書による |
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南山の たたかひの日に 袖口の こがねのぼたん ひとつおとしつ その扣鈕(ボタン)惜し べるりんの都大路の ぱつさあじゆ 電燈あをき 店にて買ひぬ はたとせまへに えぽれつと かがやきし友 こがね髪 ゆらぎし少女 はや老いにけん 死にもやしけん はたとせの 身のうきしづみ よろこびも かなしびも知る 袖のぼたんよ かたはとなりぬ ますらをの 玉と碎けし ももちたり それも惜しけど こも惜し扣鈕 身に添ふ扣鈕 |
庭から津和野城跡が見える |
室町時代までは三本城と呼ばれていた |