東京建物見学 その2 早稲田大学 国際文学館と自由学園 明日館 

 


早稲田大学 坪内博士記念演劇博物館
日本国内はもとより、世界各地の演劇・映像の貴重な資料を所蔵しており、錦絵4万8000枚、舞台写真40万枚、図書27万冊、チラシ・プログラムなどの演劇上演資料8万点、衣装・人形・書簡・原稿などの博物資料15万9000点、その他に貴重書や視聴覚資料など、約100万点におよぶ演劇に関連する膨大なコレクションを有す
建物の設計者は今井兼次で、16世紀に存在したイギリスの劇場「フォーチュン座」を模して設計されている


国際文学館(村上春樹ライブラリー)
村上春樹が自身の作品や資料等を早稲田大学に寄贈,寄託したことを契機に4号館を改修。設計は隈研吾。5階建ての建物の地下1階〜2階までがライブラリーとなり上層階には研究室などが入る。
こちらは西側

隣は次女が学んだ3号館


トンネルをイメージしたファサードは「アコヤ材」を使用。

「風の歌を聴け」から著作名が並ぶ

2024年の最新「デヴィッド・ストーン・マーティンの素晴らしい世界」まで並ぶ

2階は2024年度春季企画展 カフカ没後100年記念 「変身」するカフカ展 (4月26日-9月16日)

1階の村上春樹の書斎の再現。奥はカフェ

ここは音楽室。残念ながらレコードでなくCDがかかってた

村上春樹寄贈のレコード

くつろぐお客さん
地階から1、2階を見上げる  

こちらは東側。見えているのはカフェ橙子猫(Orange Cat)
村上夫妻が学生時代に経営をはじめたジャズ喫茶「ピーターキャット」の由来にもなっているピーターという猫がオレンジキャットと言われる種類だったため、それにちなんで村上春樹が命名した。 早大生3人が主体となって経営、 約半年かけて開店準備し2021/10/1オープン。

早稲田から池袋へ。
池袋駅の南500mのところにある婦人之友社。
自由学園の創立者である羽仁もと子、羽仁吉一夫妻が1903年に創業した出版社。建物は設計:遠藤楽 施工:大明建設 竣工:1963年 構造:鉄筋コンクリート造地下1階・地上3階 延べ面積:1076.49㎡

2019年のNHKの連続テレビ小説「なつぞら」で広瀬すずがアニメーター・奥原なつを演じ、この建物の外観がアニメ制作会社「東洋動画スタジオ」の社屋として使われた。

設計者の遠藤楽(らく、1927~2003年)は、遠藤新(あらた)の次男で、父親の新が亡くなった後の1957年から58年にかけて、米国ウィスコンシン州のタリアセン(ライトのアトリエ) で学んだ。つまり、親子二代でライトに師事した。

豊島区有形文化財
婦人之友社がライトっぽく見えるのは、外壁に層を成す大きな豆腐のようなボリュームにより建物の水平ラインが強調され、ライトの「落水荘」を思わせることによる。
薄いベージュ色の仕上げ、下端の丸み、そしてよく見ると、上階ほど微妙にせり出している。

 ペンシルバニアにある「落水荘」
この滝と住宅が調和したような構成は、葛飾北斎の浮世絵「木曾海道小野ノ瀑布」に影響を受け設計されたと言われている。 そもそもライトは「浮世絵収集家」としても有名であり、日本を訪れた際には相当な数の浮世絵を買いあさったともいわれている。 そんな日本文化に興味を持っていたライトが浮世絵に影響を受けて建てた作品だからか、落水荘もどこか日本を感じるような外観になっている

窓枠のY字は、ライトの「ハーマン・モスバーグ邸」(北米インディアナ州北部」サウスベンドにある)の窓を思わせる。


 

 遠藤楽の没後に発刊された作品集「楽しく建てる」から
 
 (自由学園から)独立しているために敷地には一線を画しながらも
  やはり兄弟の関係は変わりなく続いている。

  だからこの建物は事実、きりはなされながらもつながりを
  持たねばならないという難しい条件を課せられたのである。

  私はここで40年前のライトさんの傑作を真似ようとは思わな
  かった。用途も違い構造も違い、そして時代も違うのである。
  要するにそれぞれの目的に従って正しくすること、だたそれ
  だけが、この相隣関係をそこなわぬ方法なのである。  
  

主婦の友社の北向いの自由学園側にある明日館の梟(ふくろうの路の梟像 第05号)栃木県産の大谷石を自由学園の生徒が彫った。平成15年に豊島区制70周年記念事業の一環で設置された。

自由学園 明日館
 羽仁もと子 吉一夫妻創立の自由学園 校舎として大正10年(1921)
  から昭和2年(1927)にかけて建設された。
  設計はフランクロイドライトおよび遠藤新です。
  平成9年(1997)国の重要文化財に指定され約3年かけて保存修理
 が行われた
 

中央棟 東西教室棟および道路南側の講堂からなっておりウィスコンシンの大平原を舞台としてライトが発想した草原住宅のたたずまいが特徴となっている。

1909年にライトはイリノイ州オークパークでのクライアントの妻であったママ・チェニ―と欧州に駆け落ちし、それまで住んでいたオークパークの町に戻ることはもちろん、シカゴでいっしょに暮らすことも不可能になりウィスコンシン州の中南部にある丘陵地帯へ向かった。
この地で1911年から、タリアセンの建設が始まった。ライトになじみの深い地域で(この一帯はライトの母方の親類にちなみ「ロイド・ジョーンズの谷」と呼ばれていた)、少年時代にはここで叔父たちの農場を手伝っていたこともあった。
ライトは、近隣でヒルサイド・スクールという学校を所有し運営していた叔母たちを説得して土地を売ってもらい、タリアセンを作る場所を確保。シカゴからも近く、新たな依頼も舞い込むなか、ライトはこの新しい自邸兼事務所づくりに着手。
 こうして完成したのは、ただの住宅ではない。住まいとオフィスを含む建物のほか、現役の農場と学校も併設されている。ここで、今日まで続く建築事務所、タリアセン・フェローシップが誕生した。落水荘やニューヨークのグッゲンハイム美術館、ジョンソンワックス社ビルなどの20世紀を代表する傑作建築も、ここで設計された。

ハーマン・モスバーグ邸

ダイヤゲート池袋
鉄道の運行図表<ダイヤグラム>を想起させる特徴的な外観を“ダイヤ”という言葉に。電車が建物の下をくぐり抜ける様子を“ゲート”という言葉にして名づけられた。 地下2階地上20階 2019/4開業

会議室Rm1921の西の端にある梟

会議室Rm1921の前から東側の建物

会議室Rm1921

この飾り柱が帝国ホテルの車寄せの柱を連想させる


会議室Rm1921

西側

大教室タリアセン

ホールの中

平日15千円/H、土日19千円/Hで借りることが出来る

大教室としま

会議室Rm1925と入口


中央棟の東西にも左右対称に建物が伸びやかに広がる姿は宇治平等院鳳凰堂からヒントを得たといわれる

ホールの窓には高価なステンドグラスを使用する代わりに、木製の窓枠や桟を幾何学的に配して工費を低く抑えた

講堂。本体の校舎が手狭になった為、学校のテニスコートであった場所に、遠藤 新が設計し建築、昭和2年(1927)6月竣工。
木と大谷石に囲まれた安らぎのある空間は、まだまだ女性の社会的認識が低かった時代に、夢多き楽しい学園生活の空間であった事を確信させる。

設計した遠藤新は福島県相馬市に生まれ、1914年東京帝国大学を卒業。
帝国ホテルの支配人であった林愛作の紹介で遠藤が注目していたライトと1917年に出会い、チーフアシスタントとしてライトに師事する。
遠藤はライトを非常に尊敬し、ライトの作風である有機的建築を日本に根付かせた。
ライトの作品の中では共同設計というのはほとんどなく、ライトはそれを嫌っていた。
自由学園の施主である羽仁夫妻が最初遠藤新に設計を依頼するのです、そこで遠藤は「ライトさんこそふさわしい方」として夫妻をライトに紹介。ライトの教育に対する情熱と羽仁夫妻のそれとが一致し、ライトも喜んで設計を引き受ける。


遠藤新の息子の遠藤楽氏が次のように回想している。
「自由学園の設計にあたって、ライトは、父、遠藤新に対し、『自由学園の設計は君の仕事にしなさい』と話している。
いずれ独立する父のためのはなむけに、と思われたのであろう。父は堅く辞退したという。ライトは『それでは共同設計に』といわれ、ライトの作品中、きわめて希有な、連名の図面が残されることになった。
父は晩年、このときのことを述懷しては、涙を浮かべていた」。