東京都庭園美術館

歴史
  朝香宮邸
  1917(大正6)年 同土地が宮内省の「白金御料地」となる
  1921(大正10)年 御料地の南西部の一画を朝香宮賜邸地として割譲
   1922(大正11)年 10 月、鳩彦王がフランスへ留学
   1923(大正12)年 4月、鳩彦王が自動車事故に遭い、允子妃は看護のため渡仏
   1925(大正14)年 7月、朝香宮夫妻がパリで開催された現代装飾美術・産業美術国際博覧会(アール・デコ博)を見学 同年12月、夫妻が帰国
   1929(昭和4)年       朝香宮邸建設計画が動き始める。フランス人室内装飾家アンリ・ラパン(1873-1939)へ主要各室の内装設計を依頼、設計監理は宮内省内匠寮工務課が担当
   1931(昭和6)年 4月、戸田利兵衛(現・戸田建設)により工事が着工
   1933(昭和8)年 5月、朝香宮邸(現・東京都庭園美術館本館)が竣工 同年11月、允子妃が薨去
   1947(昭和22)年 10月、鳩彦王が皇籍を離脱し朝香鳩彦となり、熱海に居を移す
  (1946年GHQにより14の宮家のうち2番目に資産が多かった朝香宮家は1068万円の資産に844万円課税された)
 外務大臣公邸~迎賓館
   1947(昭和22)年 政府が土地及び建物を借り受ける。吉田茂が外相・首相公邸として使用(~1954年 国会にタヌキが出るが首相公邸にもタヌキが出る がお気に入り冗談)
   1950(昭和25)年 旧宮邸の土地及び建物が西武鉄道の所有となる
   1955(昭和30)年 国賓、公賓をもてなすための迎賓館[白金迎賓館]として使用(1974年赤坂迎賓館開館まで)
   1963(昭和38)年 宮邸裏手に鉄筋コンクリート造4階(地下2階)の新館を着工(2012年取り壊し)
   1974(昭和49)年 赤坂迎賓館の開館後、民営の白金プリンス迎賓館として催事・結婚式等に使用
   1981(昭和56)年 12月、東京都が西武鉄道と旧宮邸の土地売買及び建物等無償譲渡契約を締結
 東京都庭園美術館
   1983(昭和58)年 6月、美術館への改修工事が始まる同年10月、東京都庭園美術館として開館
   1993(平成5)年 本館(旧朝香宮邸)が東京都指定有形文化財に指定される
   2011(平成23)年 11月、改修工事のため休館、新館を改築
   2014(平成26)年 11月、リニューアルオープン
   2015(平成27)年 7月、本館・茶室・正門・倉庫・自動車庫が国の重要文化財に指定される
   2018(平成30)年 3月、西洋庭園、レストランが竣工し、総合開館する

朝香宮家は久邇宮朝彦親王の第8王子鳩彦王(1887/10/2-香淳皇后の叔父、弟に東久迩宮稔彦鳩王[総理大臣])が1906年(明治39)に創立した宮家。朝彦親王が神宮の祭主で朝熊山から名を取った)は、陸軍大学校勤務中の1922年(大正11)から軍事研究のためフランスに留学したが交通事故に遭い、看護のため渡欧した允子内親王とともに、1925年(大正14)まで長期滞在。 当時フランスはアール・デコの全盛期で、その様式美に魅せられた朝香宮夫妻は、自邸の建設にあたり、フランス人装飾芸術家アンリ・ラパンに主要な部屋の設計を依頼するなど、アール・デコの精華を積極的に取り入れた。

1924年7月28日付のルイヴィトンのワードロープ・トランクと靴ケースの領収証 1円=7フラン 当時の1円≒現在の2000円

 

 

宮内省内匠寮
宮内省(現・宮内庁)内にあった組織で、皇室建築や儀式で使用する建築の設計・監理を担当。内匠寮は管理課、工務課、内匠寮出張所に分かれ、工務課はさらに建築係、土木係、庭園係、機械係に分かれていた。各係には技師や技手など総勢100名を超す人々が所属。
朝香宮邸は、当時工務課長であった北村耕造(1877‒1937)のもと、全体の基本設計を洋行帰りの建築係技師・権藤要吉(1895‒1970)が担当し、ラジエーターカバーや各種モザイクをデザインした技手の大賀隆、照明や家具をデザインした技手の水谷正雄が担当。
内匠寮が手がけた同時代の建築としては、秩父宮邸[1927(昭和2)年]、李王家邸[1929(昭和4)年]、高松宮邸[1931(昭和6)年]、東京国立博物館本館[計画案:渡部仁1937(昭和12)年]も実施設計を行った。。

 

アンリ・ラパン1873–1939 画家、室内装飾家、デザイナー。
画家としてキャリアをスタートさせた後、次第に装飾美術の世界でその才能を発揮。1924年に国立セーヴル製陶所の芸術顧問及び装飾美術家協会の副会長に就任、1925年のアール・デコ博覧会では、数々のパヴィリオンの企画やデザインを担当。
朝香宮邸では、大広間、次室、小客室、大客室、大食堂、殿下居間、書斎の計7室の内装デザインを手がけた。仕事仲間の同時代の作家たちの作品を効果的に取り入れながら自らも壁画を描き、《噴水塔(香水塔)》や家具をデザインし、調和のとれたアール・デコ空間を創り上げた。

アンリ・ラパンによる大食堂の壁画。赤いパーゴラ(つる棚)と泉が油彩で描かれている  2002年に改修

次室は、大広間から大客室へのつなぎの役割をした。天井は白漆喰の半円球ドーム形であり、中央にはアンリ・ラパン氏がデザインした香水塔が置かれている。天井と香水塔によって、落ち着いた神聖な空間を作り出している。


ルネ・ラリック
1860–1945 ジュエリー・デザイナー、ガラス工芸家。
アール・ヌーヴォー期のジュエリーのスタイルを確立した第一人者で、1900年のパリ万国博覧会で絶賛を受けた。その後、ガラス工芸に着手、量産にも応える型押技法や型吹き技法で、食卓のガラスの器から建築部材まで、様々なものをガラスで生み出した。
1925年のアール・デコ博覧会では、会場中央にガラスの噴水塔《ガラスの水源》を制作、アール・デコの旗手としての評価を築いた

朝香宮邸には、宮邸のためだけのオリジナルデザインとして、正面玄関ガラスレリーフ扉を制作。当初のデザイン案では裸体の女性像が描かれていたものの、日本側からの要望で着衣にする変更がなされた経緯がデザイン画に残されている。

この扉は宮家家族が使っていたが、帰宅時に閉めた際に亀裂が入りそれ以降、使用していない。 

ルネ・ラリックのデッサン

2つ前の写真に写っている玄関の照明

ルネ・ラリックによる大食堂のシャンデリア「パイナップルとざくろ」、大客室には「ブカレスト」がある。

 

 

シャンデリアのアップ

マックス・アングラン1908‒1969 画家、ガラス工芸家。
ガラスを素材とした室内装飾を数多く手がけ、ノルマンディー号ほか豪華客船の内装にも名を連ねた。初期の作品では、神話や自然をモチーフとした具象的な表現が多い。第二次大戦後は次第にシンプルでモダンな表現となり、ステンドグラス制作においてもフランスを代表する存在となった。 朝香宮邸では、大客室と大食堂のスライドドアや両開き扉にはめ込まれたエッチングガラスを手がけた。
これは大食堂の扉。

 

植物文様の壁面はレオン・ブランショのデザインによるもの。このレリーフはコンクリート製でフランスから送られてきたが、到着時にヒビが入っていたため日本で型を取り石膏で作り直し、銀灰色の塗装が施された

 

壁の腰部分にあるラジエーター・レジスター(暖房器カバー)のデザインは内匠寮の技手の大賀隆による。

小食堂  この部屋は朝香宮一家の日常の食事に使用さた。西洋スタイルの朝香宮邸の中にあって珍しく、全体に和の要素が取り入れられた部屋。天井は杉の柾板が使用され、床の間も設けられている。ラジエーターカバーはブロンズ鋳物で制作されており、日本古来の源氏香の模様がデザインされている。床の寄木はローズウッドを中心にしてケヤキ材が施されており、その周りを黒檀で装飾している。

照明は四方をガラスで飾りを付け、和風のデザインに仕上げている。


 住居と事務所部分を一体化し、「ロ」の字に構成した朝香宮邸の基本プランは、内匠寮が東伏見宮邸[1925(大正14)年]で設計したものが下地になっている。 また建築担当の技師、権藤要吉も西洋の近代建築を朝香宮邸の設計に取り込み、宮内省内匠寮による邸宅建築の頂点のひとつとなっている。

2階廊下。第二階段にもこのデザインの窓がある

 

姫宮居間 姫宮居間は扉や床にモミジ材が使われている。部屋にはサーモンピンクの大理石製マントルピースと円形の鏡があり、姫宮の部屋に相応しい可憐な和らぎを感じさる。壁紙は虹色の波形ストライプ、姫宮寝室とは対照的に明るい色彩となっている

帽子を逆さにしたような照明に、天井には花の模様を施している。旧朝香宮邸にある照明器具は全部で36種類以上ある。

ラジエーターレジスター(暖房器用カバー)の百合の花は妃殿下が下絵を書いた。妃殿下寝室のレジスターは花とトレリス(柵)のデザインでこれも妃殿下が下絵を書いている

 

北の間は、夏期の家族団らんの場として使用した。床と腰壁にはタイルを敷き詰められ、大きな窓と天窓によって、外にいるかのような感覚になる。

右の建物は新館、迎賓館新館(1963-2012)を取り壊して建てた

 

この芝生のところに1964年迎賓館の大理石のプールが作られ、平日1,000円土日祝日1,500円で一般開放されていた。

 

安田侃(かん)の風。プールの大理石を利用し2000年に創作、2001年に展示されたものを恒久設置



 

裏(南)から。竣工(1933 S8)当時は陸軍中将の鳩彦殿下、允子(のぶこ)妃殿下、歩兵第一連隊付の第一王子孚彦(たかひこ)王、海軍兵学校在学の第二王子正彦王、第二王女湛子(きよこ)女王が住んだ。

左の円形が大食堂


 


ベランダの照明


ベランダは、殿下、妃殿下の居間からのみ出入りできる夫婦専用で、庭園を一望できるとても明るい空間になっている。床は、国産大理石の黒い銀星と白い薄雲が市松模様に敷かれている。


妃殿下居間のバルコニーの外側の幾何学模様のレリーフ


燈籠があった

新館

日本庭園内の茶室「光華」は、武者小路千家の茶人である中川砂村(是足庵 1880-1957)が設計、大阪の数奇屋大工棟梁平田雅哉(1900-1980)が施工し、昭和11年(1936)に上棟。「光華」という名称は、朝香宮鳩彦殿下の命名で、扁額も殿下直筆のもの。

茶席は小間、広間、立礼席の三席からなる。屋根は本体が桟瓦葺、庇が杮板を銅板で包んだ杮葺。立礼席は明治の初期に裏千家が外国人のために考案した椅子式点前の茶席で、戦後各流派家元の茶席に普及しましたが、戦前の茶室では珍しい。天井が高く、全体に明るく開放的な造りで、アール・デコ様式の本館と合わせるかのように、施主である殿下の好みが反映されている。

 

立礼席

 

 

1万坪の敷地内には職員官舎、孔雀・鶏小屋、盆栽置場、テニスコートもあった。この池ももっと大きく水も澄んでいて親類の子がたらいで水遊びした

 

白樫

2階の左端は姫宮居間。その上はウインターガーデン(温室)。ファサードに華やかな装飾を施すのがアール・デコだが満州事変など社会不安が広がる中で時勢に配慮した。

ウインターガーデンの内部。このチェアセットは、1932年に殿下ご自身が松坂屋で買ったもの

西洋庭園。奥が入口、レストラン


入口の竹久夢二の案内板