山塘街(shantangjie)
白壁に黒屋根、疎水にかかる苔むした石橋。山塘街は、蘇州旧市街でも昔ながらの水郷の風情が
残る地区のひとつ。
山塘街の歴史は唐の宝暦年間(西暦885年)に遡る。日本では詩人として名高い白居易が蘇州の知
事として赴任まもなく、虎丘に出かけた際、周囲の水路が埋まってしまい一帯の水利が不便になってい
る様を眼にした。白居易はすぐさま、商業街だったチャン門から虎丘にかけて山塘河を開鑿、灌漑と交
通の便が大幅に改善され、一大遊行商業街として発展。後、蘇州の人々は白居易に感謝の意を表し、
山塘街を白公堤と呼んだ。
唐以降、山塘街は物資の集積する街となり、清の乾隆年間に描かれた「姑蘇繁華図巻」には「中華第
一街」と称された繁栄の様が見てとれる。多くの文人墨客にも愛され、曹雪斤は「紅楼夢」の中で山塘街
を「俗世間で一、二を競う風流にして富貴な土地」と紹介。乾隆皇帝は、1792年太后の70歳の祝いに北
京の皇家庭園「?和園」の北に山塘街を模して、蘇州街を建造している。
山塘街は七里山塘とも呼ばれ、距離にして3〜4キロ。近年山塘街の東端から新民橋までは観光用に
整備され、レストランやクラフトショップが軒を連ねている。

留園から山塘街の途中で木が物干竿がわり

小学生が下校中

朱家角と比べると規模はかなり小さい感じ

虎丘から観光船が戻ってきた

みやげ物屋とか食堂 虎丘への船乗場